写真:万葉 りえ
地図を見る京都の大きな通りである四条通から木屋町通へ入ってほどなく、元・立誠小学校が見えてきます。モダンで懐かしい風情を残すこの小学校では各種のイベントが開かれているのですが、ここに角倉了以(すみのくらりょうい)と高瀬川の沿革を表した案内板があります。角倉了以とは、戦国末期から江戸初期の京都の豪商で、海外貿易を行い、各地の河川の改修に貢献した人物です。
高瀬川は、角倉了以と素安父子が、京都の中心部と伏見の物流をよくするために江戸時代に作った運河です。そのため便利なこの川沿いに、いくつもの藩が藩邸を建てました。
元・立誠小学校は土佐藩の藩邸が建っていた地ということで、土佐藩藩邸跡の碑もあります。彦根藩や加賀藩などの藩邸跡にも碑が立っているので、この通りの先で見つけてくださいね。
土佐藩で忘れていけないのが、もちろん坂本龍馬ですね。木屋町通沿いの右側に「お龍独身時代寓居跡」があり、その先の、現在「龍馬通」と名付けられた所には「坂本龍馬寓居跡」があります。
そして、三条通では、あの「池田屋騒動跡」も。もしもこの辺りに土佐藩邸がなかったら、歴史が変わっていたのかもしれません。
さらに、洋学を学び、明治新政府の下で軍制近代化に尽力した大村益次郎…塾を開き、勝海舟や吉田松陰など多くの門人を出した佐久間象山…と開国期の日本の歴史を作っていった人物の碑が続きます。
木屋町通と交差する御池通を過ぎた右手には、桂小五郎と愛人・幾松の寓居跡。
次から次へとあらわれる史蹟を目にすると、江戸末期から明治にかけてこの木屋町通で歴史が作られ塗り替えられていったことを、しっかりと感じていただけることでしょう。
写真:万葉 りえ
地図を見る江戸期の荷を積んだ船が再現されている「一の舟入」まで来ると、高瀬川の源流もすぐです。
その先に見える二階建ての白壁の建物が「島津製作所 創業記念資料館」です。
明治の初め東京遷都により衰退をたどっていた京都は、最新技術の導入によって復興を目指そうとしました。こうした中で仏具製造業を営んでいた島津源蔵は、近くに開設された舎密局(理化学研究所)を頻繁に訪れ理化学の知識を深め、やがて理化学機械の製造業へと転身したのです。これが、現代まで続く島津製作所の始まりです。
島津製作所が創業100年を迎えたのを記念して、創業間もないころに使われていた社屋を資料館としてよみがえらせたのが、この「創業記念資料館」です。
創業者の居室は畳敷きのままですが、軒下の美しいステンドグラスなどには当時の新進気鋭の心持ちが見てとれます。
店舗であった広いスペースには、西洋技術に頼らず、発明工夫、観察と実験を繰り返して、新しい機器を世に送り出していった会社の歴史と変遷がわかりやすく展示説明されています。体験コーナーもあるので、大人だけでなく、小学校の高学年くらいからでも楽しめそうですよ。
もちろん、ノーベル賞をとられた田中耕一さんのコーナーもあります。
写真:万葉 りえ
地図を見る島津製作所創業記念館の向かいに、「がんこ高瀬川二条苑」があります。「がんこ」は居酒屋チェーンで、駅前など各地に店舗があるので利用される方も多いのではないでしょうか。しかしここの「がんこ」は、ほかの店舗に比べ少し趣が異なります。
建物の奥にある広い庭園は、約400年前の慶長16年に角倉了以の別邸として建てられた時から伝わるもの。その後、明治の元勲・山縣有朋、第3代日本銀行総裁・川田小一郎などが所有したという経歴を持っています。
庭の隅に茶室が設けられ、秀吉や家康に仕えた小堀遠州によって作庭されたという茶庭も残っています。灯篭がいくつも配置された広い庭には、滝や、早瀬、浅瀬の流れ。凝縮された日本の風景を感じていただけるのではないかと思います。
そして、ここの流れが木屋町通りをくぐって高瀬川へとつながっている…高瀬川の源流でもあるのです。春の梅、夏の蛍、秋の紅葉、とそれぞれの季節を楽しめます。
江戸から明治にかけて日本史に名を残していった人物たちが、京都の中心部のこの細い通りにこんなにも足跡を残していったなんて、とても稀有ですよね。
公共交通機関を使うにも、とても便利な場所です。
志士たちに想いをはせながら、ぜひ歩いてみてください。
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(2024/9/10更新)
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