真田丸の場所はどこ?最新の有力説を辿る大阪玉造歴史散策

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真田丸の場所はどこ?最新の有力説を辿る大阪玉造歴史散策

真田丸の場所はどこ?最新の有力説を辿る大阪玉造歴史散策

更新日:2016/06/06 18:44

東郷 カオルのプロフィール写真 東郷 カオル トラベルライター

大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が築いた真田丸。真田丸がどこにあったのかということは、未だ正確には解明されていませんが、大阪玉造近辺には「真田山」や真田の抜け穴がある「三光神社」などがあり、真田丸があったとされる土地。
最近の調査では、心眼寺から鎌八幡にかけての餌差町一帯(明星学園付近)が有力とされています。
今回は三光神社から心眼寺、餌差交差点を通って鎌八幡までをご案内します。

真田の抜け穴のある三光神社

真田の抜け穴のある三光神社

写真:東郷 カオル

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三光神社はJR環状線玉造駅、地下鉄玉造駅、どちらからも徒歩2〜3分。南に行けば真田山町、西へ行けば餌差町という位置関係にあります。
三光神社で有名なのが「真田の抜け穴」。純血大阪人は、小さい頃から父や祖父から「あそこには幸村の抜け穴があってな、大阪城に繋がっとるんやで〜」という話しを聞かされて育ちます。

普段は閉ざされている穴は、真田まつりの日には開放され、抜け穴の前には長い行列ができるほどの人気です。

心眼寺坂

心眼寺坂

写真:東郷 カオル

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続いて三光神社の西側、心眼寺を目指します。この辺りはかなり勾配があり、大阪市内らしからぬ坂道が続きます。お寺が3つ連なり、裏は墓地。墓地から見る下の道との高低もかなりのものです。この辺りを散策していると、知らず知らずのうちに結構な坂を上っていたことに気付かされます。

当寺の絵図や資料に描かれている真田丸へ入る道、それがこの心眼寺坂であるという説があり、当時のことを想像しながら実際に歩いてみると、かなり楽しい歴史散策ができます。

真田幸村出丸城跡

真田幸村出丸城跡

写真:東郷 カオル

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こちらは先ほどご紹介した心眼寺坂の途中にある心眼寺。江戸時代、真田幸村・大助の菩提を弔うために建てられました。門の前には「真田幸村出丸城跡」の石碑が。

中には信繁(幸村)の墓があるので是非お参りしていきましょう。

餌差町交差点

餌差町交差点

写真:東郷 カオル

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心眼寺坂、明星学園を通り、餌差交差点へ。この餌差の交差点を頂点として東西南北すべての方向へ下り坂になっています。交差点の北東側が明星学園、北西側に鎌八幡があります。

真田丸は心眼寺の西、明星学園あたりでほぼ間違いはないだろうといわれており、2016年2月には真田丸を顕彰する碑が建立される予定となっています。実際には東は三光神社から西は鎌八幡までの広い範囲、という説が有力です。

真田丸の西端・鎌八幡

真田丸の西端・鎌八幡

写真:東郷 カオル

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真田丸の西端が餌差町交差点北西角にある鎌八幡といわれています。
昔この場所に大きな霊木があり、信仰を集めていました。鎌八幡大菩薩を宿すこの御神木に幸村が戦勝を祈願し、見事に大坂冬の陣で勝利したことにより鎌八幡の信仰はより一層広がったと言われています。

今では縁切りの祈祷所として有名。京都にも観光地化している縁切りの有名な神社がありますが、こちらはかなり深刻というか本格的。境内にある絵馬は鎌の絵が描かれており、その絵もかなり怖い感じなのですが、絵馬に書かれている願い事がどれも真剣そのものです。

門の前にも注意書きがありますが、敷地内での写真撮影は禁止されていますので、マナーを守って見学しましょう。

真田丸ゆかりのスポットがいっぱいの玉造

今回ご紹介した玉造近辺は、今でも起伏に富んだ地形が残り、当時を偲ばせる場所。すぐ近くには大阪城。そして今まで謎の多かった真田丸。歴史ファンには見どころ満載です。
2016年大河ドラマでますます注目されるエリアですので、是非、茶臼山や、真田の隠れ里・九度山(和歌山)とあわせて、関西への旅行プランを立ててみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/02−2015/05/05 訪問

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