日本遺産「旧閑谷学校(きゅうしずたにがっこう)」の敷地内には、国宝や重要文化財に指定された建物や塀など多くの見どころがありますが、その中でも最も目を引くのが大きな赤茶色の屋根が特徴的な旧閑谷学校講堂です。
ここは、江戸時代から庶民教育の実践の場として、授業が行われた場所。靴を脱いで構内に入れば、外の熱気が嘘のように涼やか。採光は、花頭窓から差し込む薄い光だけで意外と薄暗く、シンとした静寂に包まれています。
300年前に授業が行われたこの場所、実は現代でも学習の場として活用されています。主催するのは「岡山県青少年教育センター閑谷学校」。旧閑谷学校に隣接して建てられ、その精神を今に受け継いでいます。
(本文下MEMOに「特別史跡 旧閑谷学校」、「岡山県青少年教育センター閑谷学校」へのリンクがあります)
講堂の奥、石塀の横の細い道を歩いていくと、ピンク色の木造校舎が現れます。ここが、閑谷学校資料館。多くの貴重な文書に加え、わかりやすいパネルや精巧なレプリカで、旧閑谷学校への理解を深めてくれます。
ノスタルジーを感じさせる校舎は、明治時代のもの。実はここは、もともと、旧閑谷学校の流れを継いだ岡山県立和気閑谷高等学校の旧校舎でした。江戸時代につくられた学校が、現在でも県立高校として生き続けていることに驚きです。
旧閑谷学校へ向かう県道261号線の脇に、うっかりすると見落としてしまいそうな遺構があります。草地の上に、にゅっ、と突き出た二本の石の突起。実はこれが、旧閑谷学校の門だったのです。
高さ4m弱ある石柱がその正体。1697年に建てられ、その後300年以上の時を経て、多くが土に埋もれてしまったというわけです。時の流れを感じずにはいられない、そんな遺構です。
1670年に造営されたという地割遺構が、JR赤穂線伊里駅の南にあります。これは、中国の周王朝時代に行われていたとされる制度を元につくられた地割で井田と呼ばれます。
中国で実際に行われていたかも不確かな地割制度ですが、日本では江戸時代になって岡山藩主池田家によって実際に造営・運用され、その遺構が現存しています。中国にも現存する例はなく、世界でここだけともいえる貴重な遺構です。
Google map等の衛星写真でも確認することができますが、ぜひ、現地に行ってみてください。周囲は長閑な田園地帯。干拓地のため、瀬戸内海が近く、潮風がとても気持ちのいい場所です。
実は、ここは造営の後、旧閑谷学校の運営を支える学校の田として運用されていました。その関連性から、旧閑谷学校と併せて、日本遺産に認定されています。
JR赤穂線の備前片上駅のすぐ南にある備前市歴史民俗資料館。ここは、旧閑谷学校に関する資料に加え、江戸時代の生活用具や、備前焼に関する展示を行っている資料館です。入館料は、なんと無料!
2015年4月24日から6月7日までは、日本遺産の構成文化財の一つである「備前国和気郡井田村延原家文書」を展示しています。旧閑谷学校の田であった下井田に関する検地の記録や、閑谷学校への入学願など、興味深い資料が目白押しです。
(本文下MEMOに「備前市歴史民俗資料館」へのリンクがあります)
旧閑谷学校は、JR山陽本線の吉永駅から路線バスで12分、同じくJR赤穂線の伊部駅から車で20分の位置にあります。路線バスは片道200円と安くつきますが、旧閑谷学校以外の遺構もみたいのであれば、車の利用をお勧めします。レンタカーは、JR赤穂線の伊部駅の近くにあります。
(本文下MEMOに「備前市 閑谷学校へのアクセス」へのリンクがあります)
このたび日本遺産に認定された旧閑谷学校ですが、世界遺産への登録を目指して運動が続けられています。
江戸時代から戦後に至るまで、世界的にみて高い識字率を誇り、世界の国々に教育という側面で影響を与えてきた日本の教育。その原点ともいえるのが旧閑谷学校です。
驚くほど静かな山間に佇む学び舎は、今、日本だけでなく世界からも注目を浴びようとしています。
(本文下MEMOに「閑谷学校を世界遺産に」へのリンクがあります)
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