やっぱり人気の坂本龍馬!京都・河原町の関連スポットを巡ろう

やっぱり人気の坂本龍馬!京都・河原町の関連スポットを巡ろう

更新日:2015/06/29 13:20

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
京都河原町といえば新旧様々な魅力にあふれる、今も昔も京の都の中心地。
そして、幕末のヒーロー坂本龍馬が活躍し、33歳という若さで惜しくもこの世を去ったという場所でもあります。
至近距離で多数の龍馬ゆかりのスポットがありますから、ぜひその足跡をたどって「歴史の自由研究」してみませんか?

高瀬川のすぐほとり、土佐藩邸跡

高瀬川のすぐほとり、土佐藩邸跡

写真:古都の U助

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高瀬川のすぐほとり、昭和3年に立てられ、平成5年に廃校となった元・立誠小学校は、雰囲気たっぷりのレトロ建築です。

現在は立誠シネマとして映画の上映実施や演劇、音楽、展覧会などのイベント会場としても使用されています。

その付近はかつて土佐出身の志士たちが足繁く行き来した、土佐藩邸の跡地です。
案内板にも書かれていますが、かつては高瀬川に面しても門が開かれ、土佐橋が架かっていました。

文久2年(1862年)3月、土佐を脱藩した龍馬はその後勝海舟に弟子入りし、勝による土佐藩主 山内容堂への取り成しで脱藩の罪を許されます。
龍馬はその赦免の代償として、この藩邸の一室で7日間の謹慎の処分となったと伝わります。

土佐稲荷岬神社

土佐稲荷岬神社

写真:古都の U助

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元・立誠小学校の北側を数メートル西に行くと、龍馬ら土佐藩士から信仰を集めた土佐稲荷岬神社があります。
小さなお社がビルの間にありうっかり見過ごしてしまいそうになりますが、そこもまた良い感じなのです。

社伝によると室町時代初期、鴨川の中州の岬のような土地に祠を建てたのがはじまりで、江戸時代初期、この付近に建てられた土佐藩の京屋敷に移されています。

明治維新の後土佐藩邸が売却された際、一時このお社も遷座しましたが、明治20年現在の場所へ遷座、大正2年に今の社殿が建てられています。

サイズこそ小さいものの、敷地に入り左側には龍馬像もあります。

坂本龍馬終焉の地、近江屋跡

坂本龍馬終焉の地、近江屋跡

写真:古都の U助

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龍馬ファンにとってはやはり外せない聖地がこの近江屋跡です。

龍馬にとっては奇しくも誕生日であり命日ともなった旧暦の11月15日、親友の中岡慎太郎と共に凶刃に倒れ、その墓は京都・東山の霊山護国神社の墓地にあります。

2015年現在の近江屋跡地は回転寿司の店舗となっています。
時間に余裕があれば想像力を逞しく働かせながら、寿司をつまむ、というのもまた一興でしょう。

龍馬が愛した女性、お龍さんゆかりの地

龍馬が愛した女性、お龍さんゆかりの地

写真:古都の U助

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龍馬に「まことにおもしろき女」といわせた妻・お龍さんが独身時代住んでいた場所は都会館というビルの前で、記念碑が建てられています。

彼女は旧姓を楢崎龍といって、父親は医者で、先祖はもともと長州藩士の家柄だったということですが、父親の死後や夫・龍馬の死後などその生涯はずいぶんと苦労が多かったと伝わります。

ちなみにこの独身時代の寓居跡以外にも、お龍さんの実家・楢崎家の跡地(柳馬場三条下る)や、二人が祝言をあげたとされる青蓮院の塔頭であった金蔵寺の跡地付近(三条通り白川橋の少し東)にも記念碑が設置されています。

歴史ファンにはたまらない

今回ご紹介した以外にも河原町エリアには現在は居酒屋になっている池田屋跡や今も材木商を営む酢屋など、多数の幕末歴史スポットがあります。

時代と共に変わり行く風景もあり、また変わらない風景も多々あります。ぜひ旅を通して様々な「龍馬」を想像してみて下さい!

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/14 訪問

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