写真:乾口 達司
地図を見る「久保惣」のかつてのあるじは、当地・和泉市で綿織物業を営んでいた久保惣太郎氏(1926年〜1984年)。1982年、父祖の代から蒐集して来た数百点にのぼる古美術品のほか、土地や建物などを和泉市に寄贈し、当館はオープンしました。その後も収蔵品の数はふくらみ、現在は国宝2点、重要文化財29点をふくめ、千点以上の美術品が収蔵されています。代表的なものとしては「青磁鳳凰耳花生 銘万声」や伝・藤原行成筆「歌仙歌合」(以上、国宝)、宮本武蔵筆「紙本墨画枯木鳴鵙図」、伝・敦煌出土「紙本著色十王経図巻」(以上、重要文化財)、東洲斎写楽筆「三世坂東彦三郎の鷺坂左門」などがあげられます。
大阪商人といえば「がめつい」「金儲けにしか興味がない」といった偏見をお持ちの方も多いのではないでしょうか。しかし、久保家の人々に限らず、実際には私財をなげうって文化財クラスの古美術品を蒐集した商人たちもたくさんおり、当館を訪れ、その素晴らしいコレクションを目の当たりにすると、彼らが芸術や文化を称揚し、その保全につとめていたことを実感できるはず。大阪商人の粋な心意気をご覧ください。
写真:乾口 達司
地図を見る1998年にオープンした新館で入館の手続きをおこなうと、目の前に小川の流れる庭園が開けます。初夏になると、池には睡蓮が美しい花を咲かせますが、留意していただきたいのは、当館が東洋美術のみならずクロード・モネの代表作『睡蓮』も所蔵していることです。当館所蔵の『睡蓮』は1907年に制作された縦長構図をとる約15点の睡蓮図のうちの1点ですが、庭園の睡蓮が当館所蔵の『睡蓮』と掛け合わされていることは意図的なものであると考えるべきでしょう。その点を踏まえて睡蓮を眺めると、よりいっそう印象深いですよね。
※…写真は2014年の様子です。睡蓮の開花時期は6月です。
写真:乾口 達司
地図を見る新館を抜けると通路はやがて市民ホールに突き当たります。「ここで行き止まり?」と思ってしまいますが、よく見ると、ご覧のように、市民ホールに沿って道が奥へと伸びています。踏み石が並べられ、建仁寺垣(竹垣)と市民ホールに挟まれた細い通路は茶室へと通じる「露地」を連想させますが、建仁寺垣は垣の間が透けていないため、はじめて歩く人はいったい自分がどこに連れていかれるのかという気持ちを抱くはず。ドキドキ感をもたらす演出が心憎いですね。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は本館からさらに奥へと進んだところにかけられた橋。そうなんです、「久保惣」の庭園には松尾川という自然の川も流れており、川の向こう岸とは橋でつながっているのです。人工の庭園に自然の河川をとりこむなんて、なかなか凝った意匠ですね。
橋の向こう側には「惣庵」と「聴泉亭」とから成る茶室が設けられています。これは、1937年、2代目の久保惣太郎氏が表千家不審菴の残月亭を写して建てた茶室で、現在は国の登録有形文化財に指定されています。通常は非公開ですが、特別に公開されるときもあるので「久保惣」のホームページでご確認ください。
写真:乾口 達司
地図を見る庭園をめぐると、各所に石灯籠が置かれているのがおわかりになるでしょう。写真の石灯籠もそのうちの一つですが、笠の部分が長くのびて、その脇のまんまるい庭石ともども、どこかしらユーモラスな印象を与えています。「久保惣」のコレクションの独自性がここからも伝わって来ませんか?
「久保惣」の魅力が館内の収蔵品にだけあるわけではないことが、おわかりいただけたでしょうか。館内の収蔵品を堪能した後は庭園も散策し、その庭園全体が壮大な芸術作品であることをご理解ください。
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(2023/12/5更新)
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