奈良盆地の南、周囲を丘陵に囲まれた飛鳥。そしてその北部、大和三山に囲まれた地域に築かれた藤原京。ここは、2007年に世界遺産候補としても暫定登録リストに記載されていますが、今回、この地が「日本遺産」に認定されたそのストーリー性とは、ズバリ「女性が国づくりの原動力であった時代」。
複数の女帝達が豊かな感性で政治を行い、文学や宗教でも女性達が大活躍。そんな女性達を偲ぶ遺跡を巡りましょう。
まずは推古天皇(第33代天皇)。日本初の女帝であり、東アジア初の女性君主。甥の聖徳太子を摂政として全面的に重用したことで知られます。彼女が603年(推古11年)に即位した場所が豊浦宮(日本書紀による)です。その宮の跡地は、現在明日香村豊浦にある向原寺(豊浦の宮跡地に建立された豊浦寺の後身)およびその近隣の地下遺構となっています。
続いて、夫である舒明天皇の崩御により即位した皇極天皇(第35代天皇)。推古天皇から一代おいて即位した女帝。彼女が営んだ皇居が「飛鳥板蓋宮」。
そしてこの「板蓋宮」こそが、645年に発生した歴史上有名なクーデター(乙巳の変〜大化の改新)、皇極天皇の眼前で大臣の次期後継者である蘇我入鹿が刺殺された舞台。近くには蘇我入鹿の首塚といわれる塚も存在しています。
クーデターの翌日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲りますが日本史上初の譲位とされています。その後、孝徳天皇が難波宮で崩御すると皇極上皇は板蓋宮において再度即位(重祚)して第37代斉明天皇となります。そして彼女は『日本書紀』によれば、しばしば土木工事を行いました。石を使った広大な庭園や、後に「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)といわれる運河をのべ3万人も動員して造っています。
明日香村には謎の石像物が点在していますが、その多くは彼女の土木工事遺跡ではないかといわれています。特に写真の酒船石はその用途に関して、諸説あり不思議さナンバー1です。現地を訪問されて何のためのものなのか、想像してみてはいかがでしょうか?
彼女の陵墓も確定されていませんが、近年の発掘調査で牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)が陵墓として最有力視され古代史ファンの大きな関心を集めています。
もうお一方、万葉歌人としても有名な持統天皇(第41代天皇)は夫である天武天皇亡き後、実際に自ら治世したことでも知られています。彼女は日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある藤原宮を造営しました。平城京に遷都されるまでの日本の首都です。橿原市高殿町に藤原宮の大極殿の土壇が残っており、周辺は史跡公園となっています。藤原宮跡の6割ほどが国の特別史跡に指定されており、現在も藤原宮及び藤原京の発掘調査は続けられています。
この地にある本薬師寺(もとやくしじ)跡は、現在、奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたるお寺ですが、8月中旬から9月下旬にかけてその周辺地区一帯に「ホテイアオイ」という水草の1種が水面に浮かび紫色の花を咲かせます。是非一度この時期にお出かけ下さい!
持統天皇の陵墓は、奈良県高市郡明日香村大字野口にある檜隈大内陵で形式は上円下方(八角型)。夫の天武天皇との夫婦合葬墓です。大化2年に出された薄葬令により天皇として初めて火葬されたことでも知られています。この陵墓は古代の天皇陵としては珍しく、治定(宮内庁が天皇陵であると定めることです)に間違いがないとされています。
明日香村でランチとなりますと、「飛鳥鍋」や古代米を使った料理など、この地ならではの名物料理もあるのですが、少しおしゃれなランチはいかがでしょうか。
創作フレンチ「榛(はる)」では榛原町(現在は宇陀市)出身のシェフが、和とフレンチを融合させた体に優しい料理を提供してくれます。(要予約)
明日香村や近隣で採れた野菜を使用して、食べやすいように醤油をソースとして使うなど、あっさりと味わえる工夫もあるそうです。
一般的なフレンチというとナイフ、フォークでマナーにも気を使いますが、お箸でいただくことができるのが嬉しい創作フレンチです。
橿原市〜明日香村は、昔日と変わらない姿を見せる大和三山や日本の原風景を残した素朴な地域ですが、考古学史上の大発見が今も見つかる貴重な場所でもあります。遺跡の多くは地下遺構ではありますが、その地に一度足を踏み入れれば、古代の女帝達の夢とロマンの物語に浸ることができるでしょう。
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(2024/12/14更新)
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