家康の願いが込められた愛知の霊峰〜鳳来寺山〜

家康の願いが込められた愛知の霊峰〜鳳来寺山〜

更新日:2015/05/25 12:29

愛知県には、登山家を楽しませることのできるような高峰はありません。しかし、歴史に彩られた山、眺望のよい山なら複数存在します。鳳来寺山は前者の最たる例と言えるでしょう。
奥三河の山地の中に紛れるようにそびえ、標高695メートル。山名の由来となった鳳来寺に子授け祈願を行い、誕生したのが徳川家康でした。この縁から鳳来寺山は徳川家との関係を深化させていったのです。では、徳川家ゆかりの山をご紹介します。

石段続く参道と貴重な植生

石段続く参道と貴重な植生
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鳳来寺山の登山道は、鳳来寺やのちに家光によって建立された鳳来山東照宮への参道でもあります。石段が整備してあり、その数1425段。一段一段ゆっくりと参りましょう。

参道に沿って杉並木が見られますが、これは日光東照宮の参道と同じく神域の荘厳さを演出する目的で植樹されたものも多いと思われます。そうした例外を除けば、全山がほぼ原生林に覆われています。モミ、ツガ、シイ、カシが生育し、シダやコケ類の宝庫にもなっています。鳳来寺山は天竜奥三河国定公園にも属しており、豊かな自然の姿を見られる場所でもあるのです。

樹高日本一を誇る「傘杉」

樹高日本一を誇る「傘杉」
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しばらく登山道を歩くと「傘すぎ」と書かれた看板とその奥に幹の太い大木が見られます。これが「傘杉」です。枝が四方に広がり、傘のように見えることからその名が付き、樹齢800年。気になる樹高は60メートルになります。

余談になりますが、元禄4(1691)年10月に、ここ鳳来寺山にも松尾芭蕉が訪れ、「木枯らしに岩吹きとがる杉間かな」の句を得ています。この時の芭蕉の年齢は48歳。2年前に『奥の細道』の旅を終え、昨年から病気がちだったようです。その影響もあり、結局は登山を断念してしまったそうですが、この杉は見たのでしょうか。
なお、芭蕉の句碑は傘杉よりも手前にあります。

鳳来寺山由来の古刹「鳳来寺」

鳳来寺山由来の古刹「鳳来寺」
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大宝3(703)年、遠く飛鳥時代に建立された真言宗の寺院です。開山した利修仙人が鳳凰に乗って都に行き、祈祷によって文武天皇のご病気を治した逸話から鳳来寺の寺名が付けられています。

また、松平広忠と於大の方が子授けを祈願して徳川家康が誕生したと言われています。この縁起により幕府から篤い庇護を受け、かつては21院坊を誇りました。
大正3(1914)年に焼失してしまった本堂は、昭和49(1974)年に再建されており宝形造、銅板葺きで古刹の面影は見られません。本尊は衆生の病苦を除く仏、薬師如来になります。

背後の荒々しい岩肌を表出させた鳳来寺山の山容が圧巻で、境内に設けられた休憩所からはこれまで登ってきた方面の山々が展望できるのも魅力です。

家康の願いよ届け「鳳来山東照宮」

家康の願いよ届け「鳳来山東照宮」
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鳳来山東照宮は鳳来寺よりももう少し高所にあります。慶安元(1648)年に、家康と鳳来寺の関係を知った3代将軍・家光によって建立されました、という由緒が一般的ですが、正しくはただの家光の気まぐれのような話ではなかったようです。

家康は遺言で「神となること」「西国鎮護」を願いました。静岡の久能山東照宮、岡崎の滝山東照宮、京都の日吉東照宮と東西線で一直線に並ぶように建立されており、実際は死後も自身で西国鎮護をしようとした家康の遺言に従って実に計画的に建立されたものと思われます。この過程で家光は鳳来寺との関係を知ったのでしょう。

拝殿の奥に幣殿で結ばれた本殿があり、ともに入母屋造り、檜皮葺きです。建物は極彩色が施され、東照大権現、つまり家康を主祭神とする社殿にふさわしい豪華な姿にしたことがよく分かります。現在は苔むした鳥居とともに古色蒼然とした趣を醸しています。

鳳来寺山登山はお気軽にどうぞ

JR「本長篠」駅からバスに乗れば、麓の集落まで行くことができます。ここから鳳来寺を経由して鳳来山東照宮を目指すと片道1時間少々要します。鳳来寺から一度、山頂を目指して東照宮への道を行くとさらに時間が掛かります。体力と相談しながら、どこまで行こうか決めましょう。

動きやすい服装は言わずもがな、ですが、低山で困難な登山路も比較的少ないので気軽に登ることができます。ただし、公共交通機関は本数が少ないので、こちらにはご注意下さい。
自然や歴史を味わいながらの登山もまた一興です。

掲載内容は執筆時点のものです。

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