写真:乾口 達司
地図を見る新熊野神社と書いて「いまくまのじんじゃ」と読みます。永暦元年(1160年)、当時、院政の担い手であった後白河上皇(後白河院)によって創建されました。後白河院といえば、生涯に34回も熊野に参詣したことで知られていますが、そのことが新熊野神社の創建と深くかかわっています。すなわち、当時の都人が紀伊半島の南端に位置する熊野三山をたびたび参詣することは大変なことでした。
では、いつでも気軽に熊野に参詣できるよう、いっそのこと、都に熊野を持って来たらどうだろうか。後白河院はそのように考えて都に熊野信仰の聖地を作りました。それが現在の新熊野神社なのです。その経緯を踏まえれば、新熊野神社という名称が紀州の熊野に対して都に「新たに設けられた熊野」(いまくまの)という意味を持っていることは、容易に推察出来るでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る注目したいのは、境内には熊野詣のための参詣道として整備された「熊野古道」まで存在していること。新熊野神社ではその参詣道を「京の熊野古道」と呼んでいます。「京の熊野古道」があるのは、本殿の裏手。本殿を見下ろすように築かれた土造りの小道には樹木が生い茂っており、ご覧のように熊野ゆかりの彫刻類が点在しています。一番手前の彫刻は「熊野曼荼羅」と呼ばれているもの。熊野本宮八葉曼荼羅にもとづいて作られており、その造型は神が時空を超えた存在であることを示しているとされます。
写真:乾口 達司
地図を見る「京の熊野古道」には、ご覧のような鳥をかたどった彫刻も安置されています。この鳥はいったい何でしょうか?正解は「八咫烏」(やたがらす)。東征の途上、熊野の地に上陸した神武天皇一行を大和国へと導いた三本足のカラスで、熊野では熊野大神につかえる神の使いとされています。
サッカーに詳しい方であれば、日本サッカー協会のシンボルマークとして使われているのをご存知の方も多いでしょう。そういった伝承から、目標達成の神、勝利を呼び込む神、幸運をもたらす神としても信仰されています。熊野では不幸や災難を自身になり代わって引き受けてくれる鳥神としても信仰されているので、お願いごとのある方はお祈りしましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は左から矜羯羅童子(こんがらどうじ)・不動明王・制多迦童子(せいたかどうじ)の三者を模した彫刻。なぜ、それらが「京の熊野古道」にまつられているかというと、それが熊野を舞台にした文覚上人の故事にちなんでいるからです。青年時代、熊野で荒行を続けていた文覚は、その厳しさに遂に息絶えてしまいます。それを目にした不動明王は矜羯羅童子と制多迦童子に命じて文覚を救済。不動明王の加護を得た文覚は、以後、類稀な法力を持つ当代随一の高僧として、その名を全国にとどろかせました。「京の熊野古道」に点在する彫刻群を参拝しながら、熊野の奥深い歴史まで学べるのは貴重ですね。
写真:乾口 達司
地図を見る境内には「影向の大樟」と呼ばれる巨木も見られます。「影向の大樟」は熊野より運ばれて来た後白河院お手植えの樟と伝わり、樹齢は900年と推定されています。現在も成長している姿から、健康長寿、病魔退散にご利益があるといわれていますが、特にお腹の神さまとして篤く信仰されているため、お腹の調子の悪い方は念入りにお参りしましょう。
新熊野神社の魅力、おわかりいただけたでしょうか。「京の熊野古道」はスタート地点からゆっくり歩いても5分程度の所要時間しかかかりません。点在する彫刻類をお参りしながら歩いても、せいぜい10分あまり。京都の街中にあるにもかかわらず、わずかな時間で熊野古道を歩いた気持ちになれるなんて、素敵ですね。京都を訪れたら、ぜひ、京都の「熊野」をご堪能ください。
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(2023/11/30更新)
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