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地図を見る御嶽(うたき)といえば、沖縄において重要な信仰の中心であり、観光客がむやみと足を踏み入れてはいけない聖地でもあります。沖縄本島では一部観光地化しているような御嶽もありますが、基本的には一般的な御嶽は勝手に立ち入ることはタブーとされます。(しかも男子禁制!)
そんな中、宮古島でも最高の霊場とされるのが、平良港にほど近い場所にある「漲水御嶽(はりみずうたき)」です。宮古島で最も由緒があり、地元でも厚い信仰を集めている「漲水御嶽」は宮古島でも数少ない、自由に出入りをしてもいい御嶽とされています。
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地図を見るうっそうと茂るガジュマルの木々にかこまれ、神聖な雰囲気の漂う「漲水御嶽」の歴史は琉球王国の建国よりも古いとされ、宮古島創世の神話が残っています。「人間がまだこの世に生まれる以前、古意角(こいつの)・姑依玉(こいたま)の二神が天から下り、一切のものを生みだして昇天した」、その跡地に建てられたのが「漲水御嶽」とされているのです。
そんな神話や人蛇婚伝説などが伝る「漲水御嶽」は、まさに宮古島の原点でもある、聖地そのもの。市街地にある御嶽ではありますが、何か圧倒されそうなパワーに溢れた場所であるのは間違いありません。訪れる際にはお邪魔させていただくという気持ちを忘れないようにしたいですね。
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地図を見る「漲水御嶽」の境内南側にある石垣は1500年、仲宗根豊見親が築いたものとされています。これは八重山のオヤケアカハチとの戦いにおいて、神霊の加護で勝利すれば神域を整備・奉納すると戦勝祈願をし、見事勝利した記念に造られたとされています。この石垣は当時の石造技術を知る上で貴重な文化財であり、市指定の史跡とされています。
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地図を見る「漲水御嶽」の目と鼻の先には「仲宗根豊見親の墓」という、国指定の文化財でもある大きな墳墓がありますので足を運んでみてください。
「仲宗根豊見親の墓」は「漲水御嶽」を築いたとされる宮古島の首長、仲宗根豊見親玄雅がその父のために建てたという墓。宮古島を代表する石造の墳墓なのですが、さながら中南米のピラミッドのような異国的な雰囲気が漂う、迫力の墳墓なのです。こちらも当時の石造技術と豊見親の権力がうかがえる、宮古島を代表する貴重な石造建築の史跡とされています。
また、この「仲宗根豊見親の墓」には隣接して「知利真良豊見親の墓」や「アトンマ墓」もあります。こちらも迫力ある墳墓ですのであわせて見てください。
宮古島において最高の聖地である「漲水御嶽」は出入りは許されているものの、島の人々にとっては神聖な信仰の場所であることに変わりはありません。旅行先でその土地土地の神様を訪ねて拝むのはとてもいいことなのですが、マナーを守って拝ませていただきましょう。
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この記事を書いたナビゲーター
bow
京都生まれ、京都育ちの生粋の京都人です。仕事で全国を飛び回り、京都の良さを再認識したため、京都の観光に携わる仕事をしています。全国を旅した経験と、観光業界に生きる人間としての視点、更には京都人ならでは…
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