写真:Hiroko Oji
地図を見る南イタリアのナポリ・モッロ・ベヴェレッロ港からフェリーで約1時間、ナポリ湾に浮かぶカプリ島やプロチーダ島を眺めながら到着するのは、イスキア・ポルト港。狭い入口から大きなフェリーが出入りし停泊しており、たくさんのクルーザーが浮かんでいる港は、1854年フェルディナンド2世が火山湖を利用して造らせたものです。
港前の通りにはピッツェリアやレストラン、ホテルが建ち並び、坂の上にはバスターミナルがあって、島内の交通を担っています。東側には新市街が広がり、メインストリートの入り口に教会や市庁舎が建っています。通り沿いにはホテルやレストラン、温泉施設、土産物屋、ブティックなどが建ち並び、観光客でにぎわっています。
写真:Hiroko Oji
地図を見るイスキア・ポルト地区からメインストリート沿いを東に進むこと30〜40分で、イスキア・ポンテ地区に入ります。ホテルやレストランが建ち並ぶ中を進み、アッスンタ教会とスピリト・サント教会を越えると、奥にお城が見えてきます。通りを抜けたところが広場となっていて、その先に両側が海の1本の長い橋が続きます。その橋がアラゴンの橋!長さ300メートルの、イスキア本島とアラゴンの城が聳える小島をつないでいる石造りの橋です。
橋の左右を低い塀が囲み、外側はゴツゴツした岩に波が打ち付ける紺碧海岸、海水がとても澄み切っています。南側の海岸は特にエメラルドグリーンから深い藍色へと変化しているのが見渡せ、まず海の美しさに釘付けになってしまうことでしょう。カモメが羽を休めている風景にも心が和みます。
写真:Hiroko Oji
地図を見る橋を渡って城内に入りチケットを買ったら、まずは坂道と階段を上り見晴らしの良い展望所へ行ってみましょう。海抜200メートルの高さを誇るお城の一番高い所からの眺めは素晴らしいの一言につきます。
西に見える本島側にはポンテ地区を埋め尽くすように建物がぎっしり。奥には、島の中央にある最高峰の(と言ってもわずか標高788メートルですが)エポメオ山が控えています。手前の橋の両側に広がる海の透明度の高さも一目瞭然です。
反対側に移って見渡せるのは、紺碧の海原に浮かぶ隣のプロチーダ島、少し離れたところに浮かぶのが青の洞窟で有名なカプリ島、そして、ずっと奥にはイタリア本土ナポリ近郊のポッツォーリの町やベスヴィオ山!
ふと足元に目を落とすと、紺碧の海岸からそそり立つような崖に這うようにして咲いている黄色の花々と生い茂る緑の葉の美しいコントラスト!目を楽しませてくれる風景が広がります。
写真:Hiroko Oji
地図を見るアラゴンのお城は、紀元前474年にクーマ人(ナポリ近郊の古代ギリシャ殖民都市)がイスキアの原住民との戦争をおこし、当時ギリシャ殖民都市のシラクーサ(シチリア島)より援軍を求めて要塞として建設されたものです。やがて、15世紀半ば、当時ナポリを支配していたアラゴン家のアルフォンソ王によって手が加えられ、城塞、住居、修道院、牢獄などとして使われるようになりました。
現在、島内に残るたくさんの石造りの建物は、当時の残虐な拷問を実行した絵と実物が展示されている拷問具博物館、天井がなくなってしまい壁のみ残っている教会跡、庭園の途中にある小さな礼拝堂、絵画美術館、テラス席の広がる数軒のレストラン、お土産物屋さん、石壁とガラス張りの8角形の展望所、ワイン醸造所跡、牢獄として使われていた薄暗い部屋・・・などなど。
高低差もあり、かなり広い範囲を歩き回ることになりますので、疲れたら眺めの良いテラス席で一休みしてくださいね。
写真:Hiroko Oji
地図を見る石造りの建物と建物の間や島内を上り下りする通路周辺は手入れされた庭園となっており、南国を思わせる植物が生い茂っています。紺碧の海の風景を眺めながらのんびりお散歩するのにピッタリ。また一角には、畑が広がり、レストランで使用する野菜が栽培されていたり、葡萄畑があったり、鶏が放し飼いにされていたり・・・。ところどころに残る廃墟も風情を感じさせてくれます。
いかがでしたか?島そのものが一つのお城として一般公開されているアラゴンのお城。港からお城へ行くとき、バスを利用したい方には、アラゴンの橋の前まで運んでくれる7番のバスがあります。ご利用の際はメモのサイトをご参照くださいね。
橋を渡ったあと、アラゴンの城内へは坂道を上っていくことになりますが、エレベーターを利用することもできますので、入り口のチケット売り場で乗り場を確認してくださいね。入城料は10ユーロ、クレジットカードは使えず、現金のみでの取り扱いです。
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(2024/10/12更新)
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