写真:津田 泰輔
地図を見る別子銅山には麓のマイントピア別子というテーマパークのエリアと山の頂上近くの東平ゾーンの大きく2つのエリアがあるが、ラピュタ感を体験したいのなら、ぜひとも東平ゾーンに行ってみよう。ただ、東平ゾーンに行くには離合困難な細い道を登っていく必要があるので、運転に自信がない方はマイントピア別子から出ているバスを利用するのがよいかもしれない。
標高は750mを越え、あたりはまさに秘境と言えるような山奥深くに入り込んでほどなく、突然斜面に現れる巨大な建造物。別子銅山は別名「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれており、雲間に現れる朽ち果てた石積みの廃坑はまさに古代文明的な雰囲気。
この場所はかつて貯鉱庫と索道停車場が設置された場所で、銅山から取り出された鉱石をここから輸送用のロープウェイによって麓まで運んでいたという。
写真:津田 泰輔
地図を見る先ほど遠望した貯鉱庫と索道停車場の場所まで降りて来ると、その重厚なレンガ造りに圧倒される。山の斜面全体にレンガの構造物が残っており、標高約750mの高地にこれだけ巨大な建物を造り上げたことは驚きである。
近付いて見上げると石の隙間から茶色い水が染み出していて、それがかつて銅の貯蔵庫だったことを想像させる。石積みの貯鉱庫は幅20m高さ10mもの大きさが二段造られており、これだけでも大量の銅鉱石が産出されていたことがわかるだろう。地下から掘り出された銅鉱石はここから次々と麓へと降ろされ、新居浜を中心地とした製錬場へと運ばれたという。
江戸時代より銅は日本の重要な輸出品目で、一時は世界一の産銅国でもあった。別子銅山はそんな日本産業を支える重要な場所であり、ここを経営していた住友財閥の礎を築いた場所でもあった。そんな夢の跡も今や風化が進み、自然の中に飲み込まれようとしている。朽ちていく文明に草木が覆う光景、なんとなくラピュタを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
写真:津田 泰輔
地図を見る映画のワンシーンような場所ではないだろうか。石垣の上に古びたレンガの建物。中世の古い教会のようにも見える。ここは第三変電所と呼ばれる場所で、かつてはここから麓までトンネルが通してあり、その中を電車が通っていた。その電気を管理していたのがこの変電所だという。
中にも入ることができるのだが、かつて変電所であった面影はなく、瓦礫の転がる廃墟といった感じ。それでも大きな窓から光が差し込む洋館はかなり良い雰囲気の絵になる場所。さほど管理しているようには見えないので、壊れかけた建物に気を付けて行ってほしい。
写真:津田 泰輔
地図を見るこれまた雰囲気のある扉。扉の奥には長いトンネルが続いている。ここは第三通洞と言って、かつて麓まで行き来するのに、このトンネルに電車を通していたという。出口まで約4km。まさに山を貫いていると言う感じだ。残念ながら扉の奥には入ることができないが、入口から覗き込むとまったくの暗闇の世界。ここで働いていた人はどんな気持ちでこのトンネルをくぐってきたのだろうか。
またトンネルはここだけでなく、山全体をアリの巣のように張り巡らされており、坑道はなんと地下1000mまで採掘され、今もなお日本で最も深くまで到達した場所となっている。
それにしてもこの扉も映画に出てきそうな雰囲気がある。いや。ファンタジーRPGのほうがしっくりくるかもしれない。まさに秘密ダンジョンに入り口。ここは入ることはできないが、確かにこの奥は深く長いダンジョンが広がっている。
写真:津田 泰輔
地図を見るかつて1万人が暮らした村の痕跡も多く残っている。すでに周りは木々に覆われていて建物もなくなっているが、山の斜面には至る所に石垣が築かれていて、まるで中世の山城跡の様相。この病院跡も入口の門と土台が残っているだけ。ほかにも娯楽場跡やかつて人々が暮らした社宅跡の残骸が遺っているので、当時の生活を感じながら回ってみるのも良いだろう。
別子銅山の東平ゾーンだけでもかなり広大で今回紹介した場所をぐるっと1周回るだけでも1時間以上かかってしまう。今回紹介した場所以外にも、東平銅山記念館や銅板レリーフの体験ができるマイン工房などの施設もあるので、より銅山についての知識を広めたい方はそちらを利用するのも良いだろう。
すでにほとんど自然に飲み込まれてしまっているが、別子山の至る所に当時の遺構が残っていて、登山コースとしてそれらを見ながら進むルートもある。この東平ゾーンだけでもラピュタの映画に出てくるような場所がたくさんあり、どこへ行っても目が離せない。かつて銅山に夢を追った人たちの痕跡を感じながら、映画の世界に足を踏み入れてはいかがだろうか。
この記事の関連MEMO
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/12/12更新)
- 広告 -