神奈川宿の周辺には、特に江戸時代幕末の政治の舞台になった場所が多い。まずは開港で影響を受けてしまった寺を紹介する。神奈川駅を下車し、青木橋交差点で国道1号を渡ると右に急な坂があり、そこを登ると正面にある「本覚寺」だ。
開港当時、この場所から横浜港が一望できるという理由でアメリカ領事館に充てられた寺で、当時山門は白く塗られ、日本人は立ち入りが禁じられていた。1862年8月、生麦村(現横浜市鶴見区)で島津久光の行列に乱入したイギリス人を薩摩藩士が殺傷した生麦事件では、負傷者をかくまって治療をした寺として知られている。
青木橋交差点に戻り、横浜駅方面に歩き、歯科がある最初の角を右折すると旧東海道に入る。今や普通の住宅地にしか見えないが、旧東海道は海に沿った非常に景観が素晴らしい街道で、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」や安藤広重の東海道五十三次之内「神奈川・台之景」にも描かれているように、眼下には海を望んでいた。つまり現在の横浜駅付近は江戸時代は海だったのである。
台町の坂を上って行くと、今はマンションが立ち並んでいる。かつては茶屋でにぎわっていたようだが、現在残っているのは現在の老舗料亭「田中家」のみである。
田中家は1863年創業の横浜最古の料亭で、坂本龍馬の妻「おりょう」が龍馬亡き後、住み込みの仲居として働いていたことでも有名だが、倒幕派の西郷隆盛や高杉新作、米国総領事ハリスなどが倒幕を計画した場所としても有名である。
また初代総理大臣伊藤博文や文豪夏目漱石なども訪れており、幕末や明治維新など激動の時代に活躍した数々の著名人に愛された料亭である。。ちなみに幻と言われる「葉山牛」が食べられる希少な料亭でもある。かつての歴史を想いながら美食を味わえるのも一興で、訪問前にはぜひ予約をすることをお勧めする。
田中家を過ぎ、坂を上りきったところに、「神奈川台の関門跡」の石碑がある。
開港後、外国人が何人も殺傷されたことで、イギリスをはじめ各国の領事から幕府は激しく非難された。その対策として1859年に横浜周辺の主要地点に関門を設けた。このとき神奈川宿の西側にできた関門が「神奈川台」の関門だ。実際はこの石碑より西側にあるようだ。
しかし、明治維新後の1871年に廃止されている。この石碑には「袖ヶ浦見晴所」と記載されており、内湾の袖ヶ浦を眺められる見晴らしのいい場所であったとのことで、今は石碑しかなく海は見えないが、ここの下が海であったことを知るだけでも感慨深い。
横浜の旧東海道神奈川宿の付近は、関東大震災や、太平洋戦争、また横浜の開拓埋め立てなどで、景色も店もほとんど当時を残していない。
しかし、江戸時代は交通の要所で栄え、絶景も楽しめた名所であった。しかも国を動かす要人が集まり国の将来を模索していた場所であったことから、幕末に思いを馳せながら歩くには面白いエリアである。横浜に訪れる際に、ひと味違った横浜の歴史探訪を楽しんでみてはいかがだろうか。
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(2025/1/20更新)
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