「銀ブラ」の語源は?銀座カフェーパウリスタでブラジル珈琲!

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「銀ブラ」の語源は?銀座カフェーパウリスタでブラジル珈琲!

「銀ブラ」の語源は?銀座カフェーパウリスタでブラジル珈琲!

更新日:2015/07/06 10:10

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

2014年に放送された「花子とアン」の安東かよが働いていたのが“カフェードミンゴ”で、このカフェの一押しメニューがブラジルコーヒーであったことをご記憶されている方も多いでしょうが、実は、これこそが『銀ブラ』の語源であったことを知る人は少ないようです。
今回は、東京観光での銀ブラついでに、このカフェードミンゴのモデルで、『銀ブラ』の語源とも云われる銀座“カフェーパウリスタ”をご紹介いたします。

「銀ブラ」とは、銀座でブラブラではない!?

「銀ブラ」とは、銀座でブラブラではない!?

写真:Naoyuki 金井

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「花子とアン」の2014年7月7日放送での一コマ。

武「とりあえず銀ブラに連れて行けし」
かよ「あのう、銀ブラの意味わかってます?」
武「バカにするじゃねえ 銀座をブラブラするから銀ブラに決まってるら」
かよ・はな「違います!」
はな「銀座でブラジルコーヒーを飲むから銀ブラって言うんですう」
美輪「それが銀ブラの本来の意味だという説もあります」

現在、広辞苑では、銀ブラの意味を“銀座をブラブラ散歩すること”と記述されていますが、大正時代では全く違う意味で使われていたという説があるのです。
それが“銀座でブラジルコーヒーを飲むこと”で、そのブラジルコーヒーが飲めるカフェが『カフェーパウリスタ』だったのです。

現存する最古の喫茶店に集まった文化人たち

現存する最古の喫茶店に集まった文化人たち

写真:Naoyuki 金井

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カフェーパウリスタの開業は明治末期の1911年で、100年以上の歴史を持ち、現存する日本最古の喫茶店です。

ブラジル・サンパウロ州から東洋におけるサントス豆の宣伝販売を一手に受けた初代社長がオープンした際に、ポルトガル語でコーヒーの意味の「カフェー」、サンパウロっ子という意味の「パウリスタ」をつなげて「カフェーパウリスタ」と命名したのです。

大正時代になると、カフェーパウリスタは文化活動の一拠点となり、小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫などの慶應大学の青年文士の溜まり場でした。
そして、彼らがカフェーパウリスタにブラジルコーヒーを飲みに行くことを「銀ブラ」と云い始めたのです。
このことは作家の佐藤春夫『詩文半世紀』、評論家の安藤更生『銀座細見』などに、「銀ブラ」という言葉が、慶應の学生に使われていたと紹介していることでもわかります。

現在でも、慶應の学生のいた時代のカフェーの趣は、緑の壁紙や鏡に残されているのです。

悪魔のような苦み走ったブラジルコーヒー

悪魔のような苦み走ったブラジルコーヒー

写真:Naoyuki 金井

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江戸時代の1804年、日本で初めて飲んだコーヒーについて大田蜀山人が記しています。
「紅毛船(オランダ船)にてカウヒイというものを飲む。豆を黒く炒りて粉にし、百糖を和したるものなり。焦げくさくて味わふるに堪えず。」
要するに大層不味かった、と云うことです。

これが明治になると日本初の喫茶店である上野「可否茶館」が開業し、相次いで「カフェライオン」や「カフェプランタン」といった高級レストランなどでコーヒーが提供されました。

そして蜀山人の手記から概ね100年後にカフェーパウリスタが開業し、一般の庶民たちもコーヒーを楽しむ時代となったのです。
「悪魔の如く黒く、地獄の如く熱く、恋の如く甘い」というキャッチフレーズのパウリスタのコーヒーは、開店日に4000杯も飲まれたのです。

この伝統の味が、現在のメニューの『パウリスタオールド』で、最近では余り味わえない苦み走ったテイストが、大正ロマンを掻き立ててくれます。

隠れファンは今は亡き世界的アーティスト

隠れファンは今は亡き世界的アーティスト

写真:Naoyuki 金井

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こうして大正期のコーヒー文化を作り上げたカフェーパウリスタでしたが、関東大震災後、喫茶店経営から撤退しコーヒー製造のみに関わっていました。

そうした歴史の中で1970年には、念願であった創業の地銀座に直営店「カフェーパウリスタ銀座本店」を再開したのですが、往時の絶頂期の賑わいを取り戻すことはできませんでした。

しかし、この歴史と伝統に彩られたカフェーパウリスタを待ち望んでいた多くの方のなかの一組が、『ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻』でした。
1977〜79年の間、毎年ヨーコと一緒にお忍びで来日していたジョンは、小野家の別荘のある軽井沢や、神楽坂や銀座を楽しんでいました。
そして1978年の夏、帝国ホテルに滞在中に二人が、三日三晩ここを訪れ、伝統のパウリスタオールドを楽しんだのです。

二人がいたのは、ちょうど店の中央の間仕切りの手前の席で、現在でも普通に座れますが、空いていればラッキーです。

珈琲文化を創造したカフェーパウリスタ

珈琲文化を創造したカフェーパウリスタ

写真:Naoyuki 金井

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1杯5銭のコーヒーを提供する庶民的なお店として人気を博したカフェーパウリスタは、慶應大学の学生以外にも、芥川龍之介の小説や長谷川利行の絵画などをはじめとして、音楽、詞、俳句など当時の数多くのメディアに登場したのです。

そして最盛期には、東京市内を始め、名古屋、神戸など当時としては珍しいチェーン展開され、多くのモボ・モガがブラジルコーヒーに群がったのです。さしずめ、大正期の“スタバ”といったところでしょうか。

日本のカフェの草創期から連綿と続くカフェーパウリスタの歴史自体が、日本のコーヒーとコーヒー文化の始まりの歴史そのものと云っても過言ではないのです。
「銀座でブラジルコーヒー」に始まった“銀ブラ”の語源を楽しみながら、大正・昭和・平成に続くロマンを味わってみてはいかがでしょうか。

オープン時のキャッチコピーの刷りこまれた『銀ブラ証明書』をいただいて、現在の“銀ブラ”を楽しみましょう。

最後に。。。

現存する日本最古の喫茶店『カフェーパウリスタ』の魅力を少しは感じていただけたでしょうか。
銀座通り沿いにあるのですから、“銀ブラ”の前に高揚させるのも良し、“銀ブラ”の後の余韻に浸るのも良いでしょう。
ぜひ、“銀ブラ”ついでに歴史的なカフェーを楽しんでみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/12 訪問

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