院政の表舞台!王朝文化の最後を飾る京都市伏見区の安楽寿院

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院政の表舞台!王朝文化の最後を飾る京都市伏見区の安楽寿院

院政の表舞台!王朝文化の最後を飾る京都市伏見区の安楽寿院

更新日:2015/06/25 15:21

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

「院政」とは、平安時代後期、天皇の父や祖父にあたる「院」がとりおこなった政治のこと。その院政の舞台は内裏の置かれた平安京のなか(洛中)であったと思っている人も多いのではないでしょうか。しかし、その中心となったのは、都ではありません。今回は院政の表舞台となった伏見区の安楽寿院を紹介し、院政期の華麗な王朝文化の名残りをさぐってみましょう。

ここで院政がおこなわれた!鳥羽離宮の名残りをいまに伝える安楽寿院

ここで院政がおこなわれた!鳥羽離宮の名残りをいまに伝える安楽寿院

写真:乾口 達司

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平安時代後期、藤原摂関家の衰退にともない、天皇の父や祖父にあたる「院」に権力が集中しはじめます。天皇家の長としての「院」は、「治天の君」として、やがて朝廷をしのぐ権威と権力を握り、朝廷とは別の独自の行政機関(院庁)を持つにいたりました。朝廷に成り代わって政務を代行する新たな政治形態を「院政」と呼びます。院政は白河院(白河上皇)の時代にはじまり、その後をついだ孫の鳥羽院(鳥羽上皇)の時代に絶頂期を迎えました。

院政の舞台となったのは、現在の鳥羽の地。鳥羽には「鳥羽離宮」と呼ばれる院の御所が次々に造営され、繁栄をきわめました。安楽寿院は、保延3年(1137)、鳥羽離宮の東殿に設けられた仏堂を前身としています。創建したのは鳥羽院。鳥羽院は白河院の時代に造営がはじめられていた鳥羽離宮に入り、みずからの墓所となる本御塔(ほんみとう)や皇后・美福門院(藤原得子)のための新御塔などを建立しました。いまでは住宅地のなかにひっそりたたずむ小さなお寺ですが、それだけにかつてこの地に壮大な離宮が存在したという事実に誰もが驚くことでしょう。

都よりも繁栄していた!鳥羽離宮の往時を伝える再現図

都よりも繁栄していた!鳥羽離宮の往時を伝える再現図

写真:乾口 達司

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境内にはご覧の案内板が置かれています。案内板に描かれているのは、当時の鳥羽離宮の様子。その敷地は180万平方メートルにおよぶ広大なもので、鳥羽殿を構成する南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などには数多くの仏堂なども付属していました。鳥羽の地は以前から平安京の外港として栄えていましたが、院政期に入るとそれまで以上に多くの人が移り住み、あたかも都が遷ってきたかのようであるとさえいわれたほどです。「院」の権勢がいかに強大であったかがしのばれますね。

収蔵庫周辺の礎石

収蔵庫周辺の礎石

写真:乾口 達司

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収蔵庫には数々の寺宝がおさめられていますが、注目したいのは、その周囲に置かれている庭石。その多くは鳥羽離宮の建物を支えていた礎石なのです。礎石からも鳥羽離宮の存在がしのばれます。

院政の絶頂期に君臨した鳥羽院の陵墓

院政の絶頂期に君臨した鳥羽院の陵墓

写真:乾口 達司

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写真は安楽寿院の西側に残る鳥羽院の陵墓。生前、鳥羽院は安楽寿院の境内に三重塔の寿陵を営み、崩御後、遺骸はその三重塔の下におさめられました。現在、陵墓のある場所には方形の仏堂が残されています。

鳥羽院は堀河天皇の皇子。父の崩御後、天皇の御位につきました。天皇であった少年期は祖父である白河院が政務を代行していましたが、白河院の崩御後は、崇徳・近衛・後白河天皇の3代、約30年にわたって院政をとりおこないました。その権力は絶大で、鳥羽院の生存中は院や朝廷に渦巻いていたさまざまな矛盾や諸勢力の思惑が争乱として具体的に噴出してくることが皆無であったほど。鳥羽院の崩御から10日たらずで保元の乱が勃発した事実からも、逆説的に鳥羽院の権力がいかに絶大であったかがうかがえるでしょう。保元の乱の後、平家や源氏といった武家が台頭してくることを踏まえると、鳥羽院の崩御をもって、平安期の王朝文化は終止符を打たれたといっても過言ではありません。

これが天皇陵?多宝塔形式の近衛天皇陵

これが天皇陵?多宝塔形式の近衛天皇陵

写真:乾口 達司

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境内の南側には、院政期の天皇であった近衛天皇の陵墓が存在します。近衛天皇は鳥羽院と美福門院とのあいだに生まれ、わずか2歳で即位。しかし、生来、病弱であったこともあり、久寿2年(1155)、17歳で崩御しました。御遺骨は美福門院のために建立された新御塔内に安置されましたが、その後、新御塔は倒壊。現在の塔は、慶長年間、豊臣秀頼によって再建されたものです。天皇陵といえば、古墳形式のものを思い浮かべませんか?事実、歴代の天皇陵のなかで多宝塔形式のものは、この近衛天皇陵だけ。その稀少性もあり、安楽寿院を訪れた折にはあわせてご参拝ください。

おわりに

いかがでしたか?いまでは住宅地のなかにひっそりたたずむ安楽寿院ですが、それでもこれだけの院政期ゆかりのスポットが存在します。近鉄竹田駅から徒歩10分ほどのところにあり、アクセスも快適。安楽寿院を訪れ、平安時代最後の煌きを体現した院政期に思いを馳せてみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/07 訪問

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