錦織選手の活躍で、ここ数年注目度の高まった「錦織神社」。
以前は相模国の西の地域(足柄上、足柄下)を「西郡(にしごおり)」と称していたことから「西郡明神」と呼ばれていました。その後、領主が「錦織」の字に改めたことから、錦織神社となりました。
御祭神は錦織大神(にしこりのおおかみ)と、下田隼人。錦織大神は昔修験者が焼身死したものを祀ったもので、西郡明神(にしこおりみょうじん)と言われ、地元の人たちからは、「にしこりさん」の愛称で親しまれています。
下田隼人は、上郡関本村名主です。寛永10年(1633年)、寛永の大地震の時に小田原城が破損しその修理のため小田原城主により農民は厳しい年貢の取立てを受けました。それを見かねた下田隼人は、一家全滅自身は切腹覚悟で直訴して本人は斬首され亡くなりましたが、その後願いが聞き届けられ年貢が軽減されたことから、町のヒーローとなりました。もともと錦織神社は須藤町にあり、下田隼人は須藤町を定宿にしていたことから、この錦織神社に一緒に祀られました。
ご利益は、下田隼人の伝説から、心願成就、五穀豊穣、勝利のご利益もあるとされ、最近では特にスポーツ上達を願う人の参拝が増えています。
特に錦織選手の活躍から、小田原の開運パワースポットとして注目を浴びています。
この錦織神社で参拝の記念として是非頂きたいのが、御朱印です。
錦織神社の御朱印は印が珍しい金色です。これはもともと朱色だったのですが、2014全米オープンのシングル2位となった錦織選手の活躍を讃えて、その後金色になりました。
錦織神社は大稲荷神社(だいいなりじんじゃ)の境内にあります。この大稲荷神社は小田原市民には「だいなりさん」の愛称で親しまれています。
創建は天正18年(1590年)小田原城北条時代、修験者が旧竹之花地区内修験堂を建立したのが始まりです。その後武田家の家臣曲淵氏が主家滅亡後、徳川家に随身、この地を賜り修験堂に稲荷大明神を祀り、小田原城の鬼門除稲荷となりました。
大稲荷神社のご祭神は田中大神と宇迦之御魂大神です。商売繁盛と共に方位除けもあります。
本殿の彫刻の見事さが目を引きます。これは日光東照宮の眠り猫の彫刻で有名な左甚五郎作です。また全国でも珍しい正七角形の絵馬があり、これは小田原の工芸技術の高さを示しています。その他、かなり個性的な狛犬が各所にいるのでチェックしてみてください。
例祭は神幸祭として5月4日、5日に毎年行われます。
愛宕神社と言えば東京都港区にあるものが有名ですが、実はこちらが大本です。
愛宕神社は天平宝字年間 757年に小田原の愛宕山に夢中道人により創建され、1339年足利尊氏により建立されました。愛宕神社のご祭神は火之迦具土神。火の神様、防火の神様と知られています。
江戸時代に愛宕神社は、拝殿と幣殿は虎ノ門近くにある港区愛宕山に移されました。その際に本殿のみが残され、大正時代に現在の地に遷座されました。
愛宕神社の彫刻も素晴らしく、こちらも左甚五郎またはその親戚筋の作品と言われています。
例祭は3月19日に行われます。
小田原は新宿から小田急線ロマンスカーでも約1時間、東京駅から新幹線で35分の日帰りに最適なスポットです。箱根の行き帰りに立ち寄るにも便利です。
小田原は城下町として小田原駅構内にある大きな小田原提灯から始まり、小田原の街は江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気にあふれています。レトロな雰囲気と海産物などグルメも満足できる街です。
錦織神社は同じ境内社と共に一度で3度ご利益のある神社です。
錦織神社の例大祭は11月17日に行われます。
錦織神社は小田原以外にも、大阪府富田林市、岡山県久米郡美咲町にもあります。気になる方はそちらにも訪れてみてはいかがでしょうか。
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(2025/1/17更新)
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