京急本線は高架橋の上に位置していますが、階段を下りたところにある、ひっそりとした地上駅。京急大師線の起点はここになります。通常は本線からの直通運転はありませんが、初詣の時期には臨時に運行されています。使われている車両は、京急の中では中堅くらいの経歴の1500型4両編成。全列車京急川崎から小島新田までの往復です。
さて、京急川崎駅ができたのは1902年のこと。さらに遡れば現在の大師線が開通したのが1899年と由緒あるもの、関東では初めて電車運転が行われた路線でもあります。京急川崎駅の大師線プラットホームは、線路の配置は当時のままとなっています。
川崎大師を発車すると、これも開通当時のままと思われる急カーブが連続し、程なく次の駅の港町へ。ここは最近リニューアルされましたが、あの美空ひばりさんの「港町十三番地」という曲はここを舞台にしたもので、2013年3月には歌碑が設立されています。
その次の駅は鈴木町。味の素の工場が隣接しているので、通勤利用者が多く、大工場と住宅地が同じ場所にあるという川崎市の特徴がよく現れた場所といえるでしょう。線路を隔てて工場の反対側が住宅地、この地域は、第二次世界大戦の空襲で大きな被害を受けたところなのですが、戦後から昭和にかけての面影を残す商店や住宅が今なお数多く見られます。また、駅前は、一部では人気の高い工場写真の撮影にも適しています。
川崎大師駅の開業は1899年、当時は大師電気鉄道でしたが、何回かの変遷を経て京浜急行電鉄の駅になりました。プラットホームの特徴は、18m車4両が停まれる程度の長さの割に面積が広いこと。これは、大勢訪れる川崎大師への参拝客をさばくためではなく、かつての大師線は川崎大師が終点で、ここから先は別の鉄道にという、いわば乗り換え駅だった時代の名残なのです。そして、駅の規模の割に駅前広場も面積が広い、このあたりの配置にも、明治時代の鉄道のイメージが残っているのです。
日本での鉄道の開業はもう少し古く、1872年の新橋横浜間に遡りますが、開通当時の駅の配置を残しているという意味では川崎大師駅も古いものです。駅の敷地内には、京浜急行発祥の地記念碑があり、このあたりは電車駅としては関東最古のものという風格を持っています。
そういえば、大師線の特徴として、地面の上や下を通る立体交差や地下駅がないというのがありますね。
東門前のひとつ先が産業道路駅。文字通り、すぐそばに産業道路という交通量の多い道路があり、踏切が渋滞の原因となっています。現在、渋滞を解消し、踏切を撤去するという目的で、地下駅化の工事が進められており、東門前を過ぎたあたりから、工事箇所が増えはじめ、産業道路駅の踏切付近は工事の機械が立ち並ぶものとなっています。
当初、2015年に大師線のほぼ全線が地下化される計画だったのですが、延期され、現在は2019年完成を、産業道路の踏切撤去は2018年の予定と発表されています。近代化される以前の地上を走る大師線を訪れるなら、お早めにというところでしょう。
ちなみに、かつて、大師線の産業道路駅付近には、レールが3本あり、味の素の工場から小島新田の先にある塩浜操車場まで、貨物列車の運行があったのですが、現在では既に廃止され、通常の軌道に戻っています。
終点の小島新田駅は、大師線の中でも変遷の多い駅で、現在の2番線まであるホームになったのは2010年と比較的新しいもの、それ以前は産業道路駅から単線で終点の小島新田駅まで続いていて、ホームも1線しかないシンプルなものでした。1964年まではここが終点ではなく、もう少し先まで線路があったのですが、その区間の廃止に伴い、小島新田駅は終点となってしまいました。
隣接するのはJR東海道貨物線の川崎貨物駅、小島新田の駅からはこの路線を歩いて渡れる厳島跨線橋(『いつくしま跨線橋』と表記されることもあり)があり、ここは景観の良さから、過去に何度もテレビドラマのロケとして利用され、ちょっとした観光スポットとなっています。跨線橋を渡ると工業地帯になり、大小の工場が建ち並ぶ場所になります。
京急大師線は数年後、大半が地下化される予定となっています。明治、大正の面影を残した、街中を走るローカル線のたたずまいを見ることができるのは、あとわずかな時間かもしれません。今のうちに訪れてみてください。
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(2023/12/5更新)
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