写真:井伊 たびを
地図を見る松虫寺(まつむしでら)は、千葉県印西市(旧・印旛村地区)にある真言宗豊山派の寺院。山号は摩尼珠山。院号は医王院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。建立は天平17年(745年)といわれる。
言い伝えによれば、天平の頃、聖武天皇の第3皇女松虫姫(不破内親王)は、幸せな日々を送っていたのだが、いつの日からか病臥の日が多くなった。そんなある日のこと、下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、「東国に下向して祈れば難病も癒ろう」とのお告げを聞いた。
そこで天皇は姫を牛の背に乗せ、行基が随って下総にやって来た。下総の印旛にある萩原の地に着いた姫は草案を結び、一心不乱に祈りをささげ、ついにその病に打ち勝ったとされる。
その松虫姫の没後、聖武天皇が僧・行基に命じて、七仏薬師を刻ませ、その薬師をまつる大きな寺を建てさせたと伝えられている。よって、その寺は姫の名に因んで「松虫姫寺」と呼ばれるようになり、やがて地名も松虫となった。
一方、姫と一緒にやってきた牛は、姫だけが都へ帰って行くのを悔やみ、池に身を投げたと伝えられている。その池は「牛むぐりの池」と呼ばれ、今でも近隣の松虫姫公園内に存在する。
ところで、本尊・七仏薬師像は、明治の神仏分離令により、神社の所管に移された。境内には、ほかに「六所神社」、「松虫姫神社」が建てられている。
写真:井伊 たびを
地図を見る国指定文化財になっている「七仏薬師像」は、坐像を中心に立像が三躯ずつ左右に並んでいる。平安初期の古様像を参考にすれば、12世紀頃に製作されたものとされ、中尊坐像と立像に、着衣の形に違いがあること以外、作風や顔の形はほとんど同じで、同じ仏師によって一具のものとして作られたとされている。
「松虫寺」にあるような坐像と立像の組み合わせは他には例がない珍しいケースで、古い様式の七仏薬師は、全国的にみても珍しいものとされる。像高は中尊坐像が54.3cm、立像はいずれも38cmの小像群だ。
ところで、この仏像は、33年に一度御開帳を迎える秘仏扱いだ。直近の御開帳は2012年11月18日だったので、次回は2045年の御開帳。それまで、お目にかかれないということだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る松虫姫を祀るために建てられた「松虫姫神社」。その軒したの彫り物は、一見の価値がある。
写真:井伊 たびを
地図を見る松虫寺境内由緒書よれば、薬師堂の裏手の松虫姫御廟に、御遺言により分骨埋葬されたと伝えられている。
写真:井伊 たびを
地図を見る松虫姫と一緒にやってきた牛は、姫だけが帰って行くのを悔やみ、池に身を投げたといい伝えられている。そして、その池は「牛むぐりの池」と呼ばれ、今でも近隣の「松虫姫公園」内に存在する。
ここ松虫寺は、北総線「印旛日本医大駅」から徒歩15分のところにある。ちなみに、この駅設置当初の計画では、近隣の地名に由来して「印旛松虫」とされていた経緯もあり、副駅名として「松虫姫(まつむしひめ)」とされている。
ところで、聖武天皇といえば、「奈良の大仏さまの東大寺」を、国力を尽くして建立したことで有名だが、ここ「松虫寺」は、その「東大寺」建立より以前に建てられている。
「松虫寺」への参詣の折りには、駅近くの「松虫姫公園」に立ち寄ることをお忘れなく。
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(2023/12/1更新)
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