写真:井伊 たびを
地図を見る当寺は戦国時代の大永2年(1522年)に、この地に住んでいた鳥海和泉守(とりうみいずみのかみ)という人物が、京都から日増上人(にとぞうしょうにん)を迎えて自宅を寺としたことが始まりである。
ところで、「日蓮聖人」は、お釈迦さまの願いを「“今”をイキイキと生きる智慧」である「法華経」に見出し教えを説いた。その「法華経」とは、「8万4千」の「お経」からなるお釈迦さまの教えであり、仏教のエッセンスがつまった人生の「羅針盤」ともいえる。
写真:井伊 たびを
地図を見る現在の本堂は、江戸時代の中期、寛延4年(1751年)に完成したもので、区内でも屈指の古い建物である。本堂の正面の軒には、ひそかに力士像がある。
ところで、古来各寺院は、参詣者に各種神仏の御影や御札を配布することが多く、それらを摺るための板木(はんぎ)を所有していた。しかし板木は使用されているうちに摩耗し、使用できなくなると廃棄されたので、現存するものは少ない。
当寺は江戸時代から旧品川宿に住む檀徒に各種の護符を配布しており、それに使用した板木が20枚残されている。その種類は、大黒天、鬼子母神、淡島尊天、妙見菩薩、清正公、三宝荒神など、江戸時代から大正時代までの民間信仰の御札の板木である。
これらの板木は、かつての品川地域の民間信仰の様相を伝えるものとして貴重であり、「品川区指定有形民俗文化財」である。
写真:井伊 たびを
地図を見るこちらの像は、著名な彫刻家、長谷川昂の作品だ。
ところで「お釈迦さま」は、紀元前5〜6世紀頃、インドの北部(現在のネパール)に釈迦族の王子として生まれた。
「悟りを開いた人」という意味である「ブッダ」とも呼ばれるお釈迦さまは、長い修行の末、人が生きてゆく上で、必ず生まれる「苦しみ」の原点を解き明し、その苦しみから解放されるための智慧を、生涯を通じて人々へ伝え広めた人だ。
その「“今”をイキイキと生きる智慧」は、やがて「仏教」となり、現在もなお約3億人もの人々の心の拠り所となっている。
写真:井伊 たびを
地図を見る知る人ぞ知る!その人の優しい人柄を感じさせる心温まる逸話だ!元巨人軍の王貞治選手が新人のころ、ある心臓病の少年に「ホームラン王」になることを誓った。その少年は残念ながら14歳で亡くなってしまったが、王選手は記録達成ごとにその少年の墓に参っている。もちろんホームラン世界記録を樹立した時にもその報告に訪れている。バットを大切に右手に握りしめ、左の手にボールを持った「ホームラン地蔵」がその少年の墓である。
この「ホームラン地蔵」の前に立ち、その表情を眺めていると、少年のご冥福を祈らざるを得ない。そして、王選手はこちらへお参りする度に、数々の大記録達成へのモチベーションアップに繋げていたことだろうと改めて思う。
写真:井伊 たびを
地図を見る明治39年(1906年)、品川沖に停泊していた軍鑑「千歳」へ渡る伝馬船が、突風を受けて転覆し、千歳乗組員ら83名が死亡した。遭難者の救助は、品川町をあげて行われ、遺体はここ海徳寺に安置、供養された。この碑は、大正8年(1919年)の13回忌に際して建てられた。碑の傍らには、大砲も置かれている。
綺麗に整えられた境内に佇めば、心の安らぎを得られる「お寺さん」だ。健康であることの幸福。そして、一日一日を大切に、一生懸命に生きることなど、これからの人生を考えることのできるオススメのスポットだ。
また、目黒川を挟んで斜め向かいの対岸に、1300年の歴史ある「品川の龍神様・荏原神社」がある。あわせて訪れてみてはいかがだろう?
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井伊 たびを
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