徳川将軍ロード!文京区・本郷通りで華麗なる江戸絵巻を堪能しよう

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徳川将軍ロード!文京区・本郷通りで華麗なる江戸絵巻を堪能しよう

徳川将軍ロード!文京区・本郷通りで華麗なる江戸絵巻を堪能しよう

更新日:2015/09/09 14:23

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

『本郷通り』は、東京都千代田区神田から北区滝野川に至る国道で、文京区本郷の地名から名付けられました。
江戸時代に整備された日光街道の脇街道で、徳川将軍家が日光東照宮に参詣する際に使用された街道。将軍が通過するので“日光御成街道”とも呼ばれ、徳川将軍家の名残も多く、江戸の趣を留めています。
今回は、この本郷通り沿いにある将軍家所縁のスポットを訪ね、今に残る華麗なる江戸絵巻をご紹介いたします。

5代綱吉の湯島聖堂

5代綱吉の湯島聖堂

写真:Naoyuki 金井

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儒学に傾倒した5代将軍徳川綱吉が、孔子を祀る“大成殿”を創建し、自ら論語の講釈を行い学問を奨励する為の施設が『湯島聖堂』。
後に幕府は敷地を拡大し、孔子の生まれた地名にあやかり“昌平坂学問所”とし、明治維新まで約70年間官立の大学の役割を担いました。更に、維新後は文部省、国立博物館、師範学校などに変遷したことから、「日本の学校教育発祥の地」及び「近代教育発祥の地」と呼ばれています。

史跡として指定された『湯島聖堂』の中でも、1704年に建造された聖堂内唯一の木造建築である『入徳門』は、特に色濃く江戸の佇まいを今に伝えています。また、勉強の木とも云われる日本で最も古い部類の“楷の樹”や、重量約1.5トンの世界最大級の孔子の銅像も見逃せません。
綱吉渾身の聖堂は、現代でも勉学のシンボルなのです。

11代家斉の東京大学

11代家斉の東京大学

写真:Naoyuki 金井

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先の昌平坂学問所が、明治期になり分離・合併をして創設されたのが東京大学で、この東京大学が設立される以前からあったのが、東大の俗称ともなっている『赤門』。
この赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女・溶姫を迎える為に造られたもの。左右に唐破風造の番所を置いている重厚さのある門で、下り気味とは云え、時の将軍家の権威を感じさせる重要文化財です。

また、キャンパス内には、夏目漱石の小説“三四郎”から付けられた心字池『三四郎池』があります。加賀藩前田家が、大阪夏の陣後に家康から賜った土地の一部で、前田家3代藩主利常の時に御殿と共に整備されたもので、都会のオアシスとして、こちらも江戸の香りを残しています。
将軍家の権威と、前田家の威信が融合した最高学府なのです。

6代家宣の根津神社

6代家宣の根津神社

写真:Naoyuki 金井

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『根津神社』は、日本武尊が文京区千駄木の地に1900年近く前に創始したといわれる古社で、1470年頃には太田道灌が社殿を建てています。
1705年、第5代将軍徳川綱吉の世継ぎに(第6代将軍)家宣が決まった祝いに現在地に社殿を建立し、千駄木から遷座されました。これは江戸幕府が、全国の諸大名に命令して行わせた“天下普請”といわれる大工事で、権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存している貴重な神社で、重要文化財に指定されています。

ツツジの名所としても知られている根津神社で、このツツジは3代将軍家光の三男綱重が屋敷の庭に植えたものです。更に境内には、6代家宣の産湯井戸(非公開)や庚申塔などががあり、随所に将軍家の面影が見られます。
家宣は僅か3年間の将軍でしたので、根津神社は家宣の微かな名残なのです。

3代家光の目赤不動

3代家光の目赤不動

写真:Naoyuki 金井

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比叡山の南谷にいた万行律師にある時お告げがあり、伊賀国(三重県)の赤目山で祈願した所、黄金の不動明王像を授かり、1616年に現在の本駒込あたりに“赤目不動”と名付けた不動堂を建立しました。

1628年、この地に鷹狩りに訪れた3代将軍徳川家光が、この“赤目不動”を見て、目黒不動・目白不動に因んで『目赤不動』と改名せよと命じたのです。そして現在地を与えられ“大聖山東朝院”と号し、1788年には、上野の寛永寺の直末寺になると同時に、「南谷寺」の寺号を与えられ隆盛したのです。残念ながら、後の戦災で本堂や不動堂は焼失したのですが、本尊だけは難を逃れたのは幸いでした。
江戸時代に天下泰平を祈願して造られた目黒、目白、目赤、目青、目黄の江戸五色不動の一つで、現在も信仰のランドマークとして親しまれているのです。

5代綱吉の六義園(りくぎえん)

5代綱吉の六義園(りくぎえん)

写真:Naoyuki 金井

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5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、綱吉から賜った地を7年の歳月をかけて造営した回遊式庭園が『六義園』。
約2万7千坪の平坦な土地に池を掘り丘を築き、千川上水を引いて大泉水を創り上げました。庭園が完成すると、綱吉は記録されているだけでも実に58回訪れており、大変なお気に入りだったのです。

桜・ツツジ・紅葉などに代表される四季の木々や花々は注目されますが、本当の見所ポイントは、名称が“詩の六義”から命名されたほど、和歌の趣味に造詣の深い吉保自身の設計とも云われる庭園美。万葉集や古今和歌集に詠まれた紀州(現・和歌山県)・和歌の浦や、中国の故事に因んだ絶景を堪能することができる貴重な庭園なのです。
吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園が天下に轟く名庭園であることを綱吉の訪問が伝えている国の特別名勝です。

最後に。。。

正式な「日光御成道」とは、中山道の分岐・本郷追分(東京都文京区)から、幸手宿(埼玉県幸手市)の手前で日光街道に合流するまでの12里30町(約48km)の街道です。

本郷通りだけでなく、それに続く北区北本通りや埼玉県の岩槻街道にも見所が沢山ありますので、徳川将軍家の名残をあわせて楽しまれてはいかがでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/16−2015/07/10 訪問

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