まるで鹿鳴館!お殿様の洋館・福岡柳川「御花」で実感する 別格の重厚さと優雅さ

| 福岡県

| 旅の専門家がお届けするオリジナル旅行ガイドメディア

まるで鹿鳴館!お殿様の洋館・福岡柳川「御花」で実感する 別格の重厚さと優雅さ

まるで鹿鳴館!お殿様の洋館・福岡柳川「御花」で実感する 別格の重厚さと優雅さ

更新日:2016/09/29 15:37

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ アマチュア写真家

神戸や横浜の異人館街など、日本には明治期に建てられた洋館が今も数多く残っています。しかし、今回ご紹介する洋館は、個人の洋館としてはそれらの洋館とは一線を画す造り。この、お殿様が建てた洋館は、重厚さや優雅さが別格なのです!

藩祖は、奇跡の敗者復活を成し遂げた戦国武将・立花宗茂。さらに、国指定名勝「立花氏庭園」に、国宝の刀も待ってます。
さあ、そんな素晴らしい洋館を城下町・柳川へ見に行きましょう。

情緒ある川下りが楽しめる城下町

情緒ある川下りが楽しめる城下町

写真:万葉 りえ

地図を見る

水郷柳川は福岡の観光名所。
もともと柳川の地は有明海によって作られた低湿地で、水に恵まれないのに水浸しになりやすい土地でした。その土地を生活の場や農地にするためにこの地の人々が作り上げたのが、街中を縦横に廻っている川や堀。その美しい景観を楽しみに、海外からも多くの人が訪れています。

川下りにはいくつかのコースがありますが、数キロにわたって、柳と白壁の景色や、日本の道100選に選ばれた小道沿いなどを楽しんでいただけます。
そして、川下りの到着点(下船場)近くにあるのが、今回ご紹介する洋館が建つ「名勝・立花氏庭園『御花』」です。鹿鳴館様式をくむ伝統ある洋館は、在りし日の鹿鳴館をほうふつとさせます。

奇跡の敗者復活劇!立花宗茂

奇跡の敗者復活劇!立花宗茂

写真:万葉 りえ

地図を見る

柳川の立花家についてお話をするなら、藩祖・立花宗茂について語らないわけにはいきません!

大友宗麟(そうりん)の武将・高橋氏の子として誕生した宗茂ですが、養子として立花家の家督を継ぎ、武将として名を挙げていきます。
豊臣秀吉が九州を平定したのちは、秀吉のおぼえもめでたく、念願だった独立大名へ。13万石の城主として柳川に城を構えます。

そんないきさつもあったからでしょう。関ヶ原の合戦では、やはり宗茂は西軍に付いてしまいます。毛利氏をはじめとして西国の大名の多くが大坂方についたのですから仕方がないのかもしれません。関が原の決戦の結果、宗茂も改易されてしまいます。

しかし、しかし、ここであきらめなかった立花宗茂!
わずかな家臣をひきつれ、京・上方で、なんとか徳川家の許しを得ようと浪人生活をしながら頑張ります。6年たってようやく徳川秀忠に拝謁(はいえつ)を許されます。宗茂のあまりの粘り強さに秀忠が根負けしたのかもしれませんね。その後奥州で1万石の大名に戻れたのです。

西軍に付いた者が大名に返り咲いたなんてすごいこと。でも、話はここで終わらなかったのです。

苦労した藩祖から 貴族となった子孫へ

苦労した藩祖から 貴族となった子孫へ

写真:万葉 りえ

地図を見る

関が原の戦いの後、柳川を含む筑後一帯は田中吉政に与えられます。
堤防の補強や道路網の整備など、城下町柳川の基礎を作ってくれました。現在、川下りを楽しめるのも田中氏のおかげなんです。
しかし、吉政の跡を継いだ忠政が、跡継ぎがないままになくなってしまいます。

ま・さ・か
そうなんです。柳川城主として立花宗茂が復活!関が原から20年をかけての、奇跡の復活劇でした。

「御花」は柳川藩5代藩主が1738年に家族と過ごすための場所として「御花島」と呼ばれた地に屋敷を建てたのが始まりです。

江戸時代、途中で改易された大名も珍しくない中、立花家は柳川藩主のまま明治時代を迎えます。「御花」は立花伯爵家の邸宅となり、14代当主により、明治42年に迎賓館としての西洋館に大広間のある和館が続いた形に整えられます。

洋館の玄関ホールに並ぶのは、手の込んだ細工がされた柱。まるで神殿のようで、賓客をもてなすにふさわしい威厳があります。廊下や階段にはワイン色のじゅうたんが敷き詰められ、来客用に使われたであろう階段も幅が広く、踊り場などもドレスの裾をひるがえしても大丈夫なほどゆったり。手すりにも太い木材が用いられ、重厚感があふれます。

隅々にいきわたる美意識は必見

隅々にいきわたる美意識は必見

写真:万葉 りえ

地図を見る

二階には広間があり、この部屋の大きな扉の内側にも装飾用に立てられた太い木の柱が賓客を迎え入れます。柱には、広間にふさわしい優雅な飾りが細工されています。昔はここでダンスなども行われていたのかもしれません。

置かれた家具は少しですが、だからこそ館そのものの造りがよくわかります。暖炉の大きな大理石や、その上に施された装飾、窓枠。どれをとっても一般の洋館ではなかなか目にしない造り。

そして忘れずに見てほしいのが天井です。ダンスホールに使われたのではないかと想像できるほどの広さの天井に、漆喰(しっくい)で造り上げられた装飾の大きさと美しさ!

日本には事業で成功をおさめた人々の洋館も残っていますが、こんなに広い部分に漆喰で装飾をほどこした天井など、そうそうありません。この細工にどれだけの職人がどれだけの期間をかけたのかと思う贅沢の極み。かといって、この屋敷全体に華美さはなく、あくまでも落ち着きある上品さでまとめあげられているのです。
これだけのものを作り上げた美意識と財力。さすがお殿様の洋館だ!と感嘆されるでしょう。

和館に残るたくさんの兜には、今も金箔の輝きが

和館に残るたくさんの兜には、今も金箔の輝きが

写真:万葉 りえ

地図を見る

重厚で見ごたえのある洋館に続いている和館。こちらの見どころもお伝えしておきましょう。

畳敷きの広間は、現代でも結婚式の披露宴に使われることがあります。もし広間が開いていたら、ぜひ長い縁側から名勝庭園「松濤園」の眺めを。大海を表す大きな池に、1500個もの庭石と280本の松が織りなす見ごたえある明治の日本庭園です。

西洋館側の廊下では、廊下の上も見上げてくださいね。ずらりと並んだ見事な武具の名は、金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)。戦国時代に多く用いられた形の兜ですが、立花家には400頭ほど残っているといいます。建物は明治のものでも、藩祖からの古い歴史を今に伝えているのです。

また、敷地内にある立花家資料館に行けば、歴代藩主の金蒔絵が施された武具・甲冑に、姫君たちの華麗な打掛や小袖、調度品など江戸初期から伝わった数々の貴重なものを見ることができます。足利尊氏ゆかりの国宝の刀も見逃さないように!

和館の長い廊下の奥には宿泊できる松濤館があります。客室からは広い庭園が見下ろされ、ゆったりと柳川にひたれます。レストランに、料亭も揃い、食事も充実している御花。九州最大の河川筑後川に肥沃な筑後平野の農産物。そして日本一の干潟の有明海。その豊かな食材に、ここは戦後立花家当主が料理旅館として始めたという流れもあります。
鰻のせいろ蒸しをはじめ、有明海の郷土料理をたっぷり召しあがってくださいね。

おわりに

まるで小説の主人公のような立花宗茂の生涯はいかがでしたか?

フィクションかと思うようなことが歴史の中にあって、柳川に行けば、今もその足跡を見ることができるのです。資料館横の御花売店では、宗茂ゆかりの品のポストカードなどお土産も充実しています。

福岡からは、西鉄電車が便利。川下り船の乗船場は駅近くに多くあり、御花の近くには北原白秋生家もあってとても観光しやすい町なんです。

独特の飾り「さげもん」が町を彩るひな祭りの頃。
柳の芽吹きが美しい新緑の季節に、水辺が嬉しい夏場、紅葉の下を船で巡る秋…
城下町のゆったりした雰囲気と情緒ある柳川を楽しんできてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。

- PR -

条件を指定して検索

トラベルjp<たびねす>

トップページへ戻る

トラベルjpで一緒に働きませんか? 旅行ガイド編集部では運用サポートスタッフを募集中です!

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ