写真:浦賀 太一郎
地図を見る岩手県の花巻で生まれ、学生時代を盛岡で過ごした賢治は、「チャグチャグ馬コ」という盛岡のお祭りに感動して連作短歌「ちゃんがちゃがうまこ」を詠みました。
賢治は、チャグチャグ馬コの通る道筋の下宿で一年ほど暮らしました。今では下宿の周辺は駐車場になってしまいましたが、そのころに賢治が使用していた井戸が残されています。
保存された井戸のある駐車場のすぐ隣に、賢治が使用した井戸水の水脈と同じ水が、こんこんと湧き出す小さな広場があります。
湧き出す清水は「賢治清水」と呼ばれ、通学の学生がタンブラーに詰めたり、ご老人がペットボトルに汲んだり、おばちゃん達の井戸端会議場になったりと、憩いの場になっています。
「ちゃんがちゃがうまこ」の歌碑も置かれているので、据え置きの柄杓に賢治清水を汲み、歌碑に浸りながら清水を飲めば、賢治の愛したこの土地を、同じように愛おしく思えることでしょう。
賢治清水は、市街中心地の大通商店街から徒歩10分ほどの静かな場所にあります。
賢治清水から徒歩1分。
下の橋を渡ってすぐ、新渡戸稲造の生誕地があります。
新渡戸稲造。5000円札になりながら、その業績はあまり知られていません。
新渡戸稲造は、『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』という本を書いています。その内容は、サムライの生き方や日本人の心を欧米人に解りやすく書いたもので、アメリカでは大統領が何冊も購入し、知人に配布するなど評判になりました。
第一次世界大戦後、国際連盟の事務局次長となり、その公正な言動は「連盟の良心」「彼ほど優れた人物はいない」などと称されています。
「願はくはわれ太平洋の橋とならん」との想いから、日本と世界の橋渡しに奔走し、国際的に活躍した人物なのです。
そんな稲造の生誕地には、椅子に腰かけた稲造の像があり、花壇には季節の花が咲き、緑地は掃き清められ、大切にされています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るビクトリアロードは、新渡戸稲造生誕地から盛岡城跡(岩手公園)のユリノキ並木を経て、与の字橋のたもとにある新渡戸稲造の胸像まで至る中津川右岸沿いの道で、ビクトリア市との姉妹都市提携10周年を記念し名付けられました。街路灯にはハンギングバスケットが下げられ、お洒落な散策路となっています。
中津川は、市街地の川としては珍しい、サケが遡上する水質の大変良い川です。サケは、宮城県石巻市の北上川の河口から、途中で中津川に分岐し、盛岡まで200kmもの距離を流れに逆らって遥々遡上してくるのです。サケの遡上風景は毎年9月末から12月の初めまで見ることができます。
川べりにまで降りることもできるので、その澄んだ川の流れを手に取れば、清涼な風と共に盛岡の自然の恵みを感じられることでしょう。
川向こうの紺屋町には、茣蓙丸(現 ござ丸 森九商店)という江戸後期から明治後期までに建てられた旧商家があります。藩政時代からの商家の様子を今に伝える古風な建物を中津川越しに見る風景は、画題になるような風情があります。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る賢治清水や新渡戸稲造生誕地からビクトリアロードを散策して8分ほど歩くと、中の橋に至ります。市街中心地の大通商店街からは徒歩10分ほどです。
中の橋を渡ると、盛岡の観光拠点とも言える「プラザおでって」があります。
おでってとは、盛岡弁で、おいでください。という意味です。
プラザおでってには特産品の販売や和風料理、軽食喫茶があり、6階の「盛岡てがみ館」には、盛岡ゆかりの偉人たちの手紙、原稿、日記などが展示されています。
そのプラザおでっての真向いに、明治時代に建てられた岩手銀行旧本店本館(現 中の橋支店)があります。明治時代の東京駅を設計した明治洋風建築界の権威・辰野金吾博士と盛岡出身の葛西萬司工学士が設計したレンガ造りのルネッサンス様式建築で、「赤レンガ」と呼ばれ市民に親しまれています。
岩手銀行旧本店本館は、その文化的価値が評価され、国から重要文化財の指定を受けています。
近辺には他にも、花崗岩の石造りがモダンな旧盛岡貯蓄銀行(現 盛岡信用金庫本店)や木造の洋風建築で望楼が美しい紺屋町番屋(現 盛岡市消防団第五分団)など、明治・大正期の洋風建築の魅力を現代に伝える建物が、今でも現役で使用されています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る市街地大通商店街から徒歩5分ほど。岩手県庁の隣、盛岡藩の家老屋敷があった場所は、今は盛岡地方裁判所になっていますが、石割桜という珍しい桜が、今でも残っています。
伝承では、ある雷雨の夜、落雷によって割れた屋敷の庭園の石の亀裂に飛び込んだ桜の種は、やがて根を張り芽を出し、生長と共に石の割れ目を押し広げていったといいます。
周囲約21mの花崗岩の裂け目から、樹齢350〜400年のエドヒガンザクラが延び、毎年春には美しい桜の花を満開にします。
今でも石割桜は生長を続け、少しずつ石の割れ目の幅も広がっています。
石と桜が織りなす景観の希少さが評価され、国の天然記念物にも指定されていて、桜の季節には石割桜を観たさに観光客が裁判所に押し寄せるといった、少し変わった様子が風物詩となっています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る盛岡は、藩政時代の町並みの名残や、欧風文化を取り入れたレトロな建築が随所に観られる城下町です。
また、宮沢賢治、新渡戸稲造、それから石川啄木に金田一京助など、数々の偉人や文人墨客を育み、愛された土地でもあります。
今回紹介した場所は、どこも市街地から徒歩圏内で、ゆっくり歩いても1時間〜1時間30分ほどで巡れる位置関係にあります。
所々に観光案内地図も設置されていて便利ですよ。
盛岡の歴史や風景を巡りたい方から、ビジネスで来訪し、隙間時間で散策してみたい方まで楽しめる、おススメの散策コースとなっております。一ヶ所、二ヶ所選定して巡ってみるのも一つの手かもしれません。
どうぞ皆さんも、盛岡の街を散策してみて下さい。
今回ご紹介した以外にも、まだまだ色々な発見がありますよ!
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(2024/10/11更新)
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