写真:浦賀 太一郎
地図を見る「どこか遠くの謎めいた何か」
そんな意味合いで平安時代の昔から、歌枕として数多くの偉人・歌人に詠まれた「壷の石文(つぼのいしぶみ)」。
その所在は明治天皇も気にかけ、石文にまつわる伝説の残る千曳神社の境内を掘り起し、捜索させたほどでした。
千曳神社には魔除として崇めていた巨大な石碑を1000人で引っ張ったという伝説があり、それが、「つぼのいしぶみ」=「日本中央の碑」ではなかったかと言われていたのですが、残念ながら明治天皇はその石碑を見つけることはできませんでした。
謎めいた何か…「日本中央」と彫られた石碑は、昭和の時代に入って偶然発見され、青森県東北町の国道4号線沿いにある「日本中央の碑歴史公園」に保存・展示されています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る「日本中央」、正確には「ひのもとのまなか」と読みます。
かつて東北の人々は、自らの国を日本、すなわち「ひのもと」と称していたとされます。
お世辞にも達筆とは言えない字体で「日本中央」と彫られていますが、彫ったのは平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝えられています。
征夷大将軍がこんな字を!?といった所からして大きな謎ですが、坂上田村麻呂が彫ったという確証は得られていません。
日本中央の碑歴史公園の敷地内にあり、無料で見学できる保存館には、日本中央の碑はもちろん、石碑にまつわる興味深い伝説や、東北町に残る伝承、源頼朝や西行法師、岩倉具視ら数々の偉人・歌人が詠んだ歌などが展示。本州の果てにある日本中央の碑の謎への好奇心が大いにくすぐられます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る日本中央の碑保存館から車で5分ほど。青森方面に向かい、国道4号線から右折し、県道8号線に入り、青い森鉄道・千曳駅と交差した先に、日本中央の碑発見地があります。
発見地は、県道8号線沿いに大きな看板があって見つけやすく、完備された駐車場があり、そこから木造の階段を降りると、「日本中央の碑」と書かれた180cm(発見された石碑と同じ大きさ)の木造の碑が建っています。
石碑は昭和24(1949)年の梅雨の時期に発見されました。村の農家が馬頭観音を祀るためにちょうど良い石を物色していたところ、湿地帯で半分土中に埋もれた大石を掘り起し、汚れを落としたところ「日本中央」と刻まれていたのです。壷の碑伝説は村人も周知しており、村中が大騒ぎになったといいます。
石が発見された集落の名は、今でも残っている地名ですが、なんと「石文(いしぶみ)」。隣の地名は「坪(つぼ)」であり、これがまさに「つぼのいしぶみ」の伝説と地名の符合する場所だったのです。
日本中央の碑発見地は、発見当時と変わらず今でも小川が流れる泥濘の湿地帯で、何かに曳きつけられるような不思議な空気が漂っています。
日本中央の碑は、その信憑性が証明されないためか国からの文化財指定はありません。
しかし、東北町の人々により大切に保管され、古くから信じられてきた伝説の「壷の碑」として、東北町の有形文化財に指定されています。
施設入館料は無料。駐車場も保存館・発見地共に完備されています。バスは本数が少なく、鉄道からは距離がありますので、アクセスは車がおすすめです。
日本の真ん中候補の中で最も異彩を放つ、数々の偉人たちが思いを馳せ、1000年以上も謎とされてきた「日本中央の碑(つぼのいしぶみ)」。
未だ謎の多く残る古代の日本に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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(2023/11/29更新)
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