写真:六三四
地図を見る天保11年(1840年)に起ったアヘン戦争で多額の賠償金、香港割譲など半植民地化となった清国の状況は幕末期の日本に大きな影響を及ぼしました。薩摩藩第11代藩主・島津家第28代当主島津斉彬公は欧米列強の脅威に産業や軍備の近代化が急務と考え、殖産興業と富国強兵を唱え、集成館事業を推進しました。
この集成館事業では、製鉄、大砲、造船、蒸気機関、ガラス、陶器、繊維、化学工場など多岐に渡った取り組みが行われました。1850年初頭から1860年代という極めて短い期間で整備がなされ、当時としては集成館周辺は東洋一の工場群を形成するに至っています。その事からも集成館事業は近代日本産業革命の先駆けであり、後に続く日本近代化の礎となったと考えられます。
写真の「旧集成館機械工場」(現尚古集成館:本館)は、1865年に完成した日本に現存する近代工場としては最も古いもので、洋式機械や蒸気機関を使って船舶装備用品などを作っていました。ストーンホームと呼ばれる洋風建築物には、一部日本建築用式も取り入れられています。
旧集成館機械工場
住所:鹿児島市吉野町9698-1
駐車場:仙巌園駐車場(有料)
※駐車場から徒歩1分、車いす可
写真:六三四
地図を見る反射炉とは石炭、重油、ガスなどを燃料とした火炎を炉内に噴射し、炉の天井からの反射熱で装入物を加熱し溶錬する炉で17世紀にイギリスで作られました。鹿児島の観光施設としても知られる島津家別邸名勝仙巌園(せんがんえん)内には、反射炉遺構も残されています。
当時日本では反射炉による鉄製大砲の鋳造、造船が主に行われました。薩摩でも同様に押し寄せる西洋列強に危機感を持っていた斉彬公は、「南西諸島に多数の領地をもつ薩摩藩こそ大砲と船に象徴される軍備の近代化と産業育成が急務」と捉えていたと考えられます。
現存する「反射炉遺構」は、安政4年(1857年)に完成した2号炉の基礎部分にであると考えられています。薩摩焼の陶工が悪質だった1号炉の耐火レンガの品質向上を図り、基礎部分も頑丈に造られ、湿気対策も強化。2号炉は、先に反射炉を作った佐賀藩士や長崎海軍伝習所の教官カッテンディーケ(オランダ海軍士官)が賞賛するほどの出来映えだったと伝えられています。
旧集成館反射炉遺構
住所:鹿児島市吉野町9700-1
駐車場:仙巌園駐車場(有料)
※駐車場から徒歩2分、車いす可
写真:六三四
地図を見る「旧鹿児島紡績技師館」(異人館)は、1867年(慶応3年)12代藩主29代島津家当主島津忠義公により日本初の洋式機械紡績工場「鹿児島紡績所」が作られた際に、技術指導のため招聘されたイギリス人技師イー・ホームら7名の宿舎として建築されたものです。
木造建築2階建ての外観は洋館そのものですが、建築には日本独特の寸尺法が用いられ和洋折衷の建造物となっています。幕末から明治初期における洋風建築として貴重な建造物でもあり、初期の西洋建築物のひとつとして学術的に重要な史跡でもあります。
館内は見学が出来ます。当時使われていた照明や家具なども再現されて、館内では幕末から明治期の英国人生活を垣間見る事が出来ます。
技師館は英国技術者の帰国後大砲製造支配所となり、1877年(明治10年)西南戦争の際は西郷軍傷病兵の救護施設、さらにその後は鹿児島城本丸跡に移築され藩校造士館の教官室としても利用がなされ、1936年(昭和11年)に現在の場所に再移築されています。
旧鹿児島紡績所技師館
住所:鹿児島市吉野町9685-15
駐車場:異人館専用駐車場
※駐車場から徒歩1分、車いす可
※2階部分へのバリアフリー対応無
写真:六三四
地図を見る集成館事業を語る上で欠かす事の出来ないものが燃料と動力。当初、燃料としての木炭は藩内の日州御手山(現在の宮崎県宮崎市高岡や都城市・綾町)で良質の白炭が大量に生産されていたため、それを利用していました。しかし反射炉その他集成館事業における木炭需要増加により安政4年(1857)年、集成館から北北東約5kmに位置する「磯御建狩倉字荒平並孝之谷」に火力の強い白炭を作る窯を建てることとなりました。それが現在の鹿児島市吉野町寺山自然遊歩道内に残っている「寺山炭窯跡」(てらやますみがまあと)です。
炭窯は堅牢な石積みで高さ約3m、直径約6m。建造された往時の姿を現在に残しています。2013年(平成25年)に国の史跡にも指定されています。苔生した石が永き歴史を感じさせてくれます。
寺山炭窯跡
住所:鹿児島市吉野町(寺山自然遊歩道内)
駐車場:寺山ふれあい公園
※駐車場から徒歩15分、車いす可(但し遊歩道内は未舗装部分、急坂あり)
写真:六三四
地図を見る燃料の次は動力。明治日本の産業革命遺産「関吉の疎水溝」(せきよしのそすいこう)と呼ばれる水路は、鹿児島市吉野町にあります。当初、集成館事業の高炉や工場などの動力には水車動力が用いられました。集成館事業の拠点となった仙巌園には、園の北西に位置する下田町関吉から水を供給する疎水(吉野疎水)が築かれていました。そこでその水路を活かし隧道なども作り、全長6〜8kmの長さに及ぶ「関吉の疎水溝」が完成しました。
関吉には、石を削り岩盤をくりぬいた水路が昔のままの姿を残しています。疎水溝の一部は灌漑用水として現在も利用され、集成館のある磯地区にも水路跡が残っています。仙巌園への用水と近代産業革命の起点となった集成館事業の動力に利用された貴重な文化遺産は、2013年(平成25年)に国の史跡にも指定されています。
関吉の疎水溝
住所:鹿児島市下田町1263
駐車場:ニッセイギャラリー稲音館駐車場(5〜6台ほど)
※駐車場から徒歩10分、車いす可
※雨が続く日は河川増水に十分お気を付け下さい。
産業革命遺産は半径10km圏内に点在しているので、自動車があれば半日もあればすべて周れます。集成館周辺は徒歩、車いすもさほど支障はありません。但し「寺山炭窯跡」は自然遊歩道内に、また「関吉の疎水溝」も坂道があるため、歩きやすい格好で行かれたほうが良いです。個人的には関水〜寺山〜集成館のコースがおすすめ。異人館や集成館、反射炉の見学の後は名勝仙巌園で散策。名物の両棒餅(ぢゃんぼもち)もぜひ!
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(2024/12/14更新)
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