写真:いなもと かおり
地図を見る箱根への玄関口でもある小田原市は、ういろう博物館などの観光名所があり、年始に行われる箱根駅伝では襷を繋ぐ中継所にもなっています。なかでも小田原城は小田原市を象徴をするスポット。この小田原城と敵対していた城をご存知でしょうか?
1590年、小田原城を拠点に関東を支配していた北条氏を滅ぼすべく、豊臣秀吉は「小田原攻め」をおこないました。秀吉は、小田原城を見下ろせる約3キロ離れた笠懸山に陣城を築きました。「陣城」とは、城主が政治や生活をする拠点の城である「居城」とは異なり、戦がしやすいように一時的に築いた城のことをいいます。
写真:いなもと かおり
地図を見る一時的といいつつも、櫓や天守を設けるなど総石垣の立派な城だったことがわかっています。(※天守の存在については諸説あります)
関東地方には石が少なく土の城が多いため、関東で初めて総石垣で築城された城としても貴重な史跡です。
写真:いなもと かおり
地図を見るこちらの城は「石垣山一夜城」とも呼ばれ、伝説も残されています。
秀吉は、約3〜4万人を動員して80日という短い期間で石垣山城をこっそりと築城しました。完成すると、夜中に目隠しとなっていた木々を伐採し一夜で城を築いたかのように見せたそうです。
古記録によると、小田原城に籠城していた兵は突然の城の出現にビックリ! 秀吉の脅威に北条氏側は戦意喪失し、見事に勝利を勝ち取りました。
写真:いなもと かおり
地図を見る1959年に国史跡に指定され、現在は「石垣山一夜城歴史公園」となっています。ピクニックしている家族連れはもちろん、城郭ファンも多く見かけますよ。
1923年の関東大震災の際、大半の石垣が崩壊してしまいましたが、耐え抜いた箇所もいくつかあります。
写真:いなもと かおり
地図を見る公園入口を入ってすぐ左手に現れるのが「南曲輪」跡の石垣です。加工していない自然の石を使用した「野面(のづら)積み」という手法で積まれました。
それも、近江(現在の滋賀県)からプロの石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」を呼び寄せる力の入れよう! 石垣をじっくり観察するには南曲輪がオススメです。
写真:いなもと かおり
地図を見る戦を想定して築かれた城にとって井戸は最も要の存在。水源の確保は生死を分けると言っても過言ではありません。
写真:いなもと かおり
地図を見る石垣山城の井戸は珍しい形をしています。四方を「野面積み」の石垣でぐるりと囲んだ姿は圧巻! 井戸曲輪の規模の大きさにも驚きです。また、この井戸は、秀吉の側室である淀殿も使ったといわれ「淀殿の化粧井戸」とも呼ばれています。
石垣に生えるコケは、まるで400年以上の歴史を重く背負っているかのようですね。現在も耐えることなく井戸から水が湧き出ています。
写真:いなもと かおり
地図を見る展望台からの眺めは、なんと絶景!眼下には相模湾や、三浦半島、小田原の街が広がります。秀吉が、天下統一を叶えるべく見ていた敵の城内。今は景色を楽しむために見つめる平和な世となりました。
ちなみに、こんな逸話も残っています。秀吉は小田原城下を見つめながら徳川家康に言ったそうです。「小田原が落城したら関八州を貴殿に進ぜよう」と。秀吉没後、徳川幕府が江戸で栄えたのは有名ですが、家康が関東に移封することが決まった瞬間でもありました。まさしく、ここで歴史が動いたのですね。
写真:いなもと かおり
地図を見る小田原攻めの後、石垣山城は廃城となりました。天下統一への足がかりとなった城は公園となり、今は観光スポットとなっています。また近くにある小田原城址も一緒に巡れば、歴史の繋がりを知ることもできますよ! 史跡巡りの後は小田原市特産品のういろうや、海鮮丼を食べて、充実した旅を締めくくりましょう。天守閣だけが城じゃない。続日本100名城に選ばれた「史跡石垣山」で城跡を巡る旅に出かけてみませんか?
住所:神奈川県小田原市早川1383-12
電話番号:
石垣山一夜城について 0465-23-1373(小田原城総合管理事務所)
史跡について 0465-33-1717(小田原市教育委員会文化財課)
アクセス:
(徒歩)東海道本線早川駅より徒歩約50分、箱根登山鉄道・入生田駅より徒歩約60分
(バス)行楽シーズンの土・日・祝日に限り、小田原宿観光回遊バス「うめまる号」が運行。詳しくは、関連MEMOにリンクしたサイトをご覧ください。
2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2023/11/29更新)
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