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写真:乾口 達司
地図を見る高麗美術館(こうらいびじゅつかん)の収蔵品は在日朝鮮人の実業家・鄭詔文(チョン・ジョムン)氏のコレクションをもとにして成り立っています。鄭氏は朝鮮半島の出身。少年時代に両親とともに来日し、戦後は京都を地盤として実業家として活躍しました。そんな鄭氏の出合ったのが、朝鮮半島で作られた白磁。その美しさに魅了された氏は、以来、高麗・李氏朝鮮時代の陶磁器や工芸品などを中心に朝鮮半島の文物の蒐集に奔走し、みずからの祖国に残る「美」を顕彰し続けました。現在、その収蔵品の数は何と1700点!祖国に対する氏の深い思いが、その収蔵品の数からもうかがえますね。
写真は正門付近を撮影した一枚。ご覧のとおり、門の脇には等身大の石人が並べられています。もちろん、石人も朝鮮半島伝来のもの。京都にあっては異色の美術館であることが、その正門周辺のたたずまいからもうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る正門をくぐる際、まず注目したいのは、写真の標札。実はこの標札、あの国民的大作家・司馬遼太郎の直筆なのです。鄭氏はみずからの出身地である朝鮮半島と日本とのかかわりを探究するため、私財を投じて雑誌『日本のなかの朝鮮文化』を発刊。作家の金達寿らと各地に残る朝鮮文化を探索し、その成果を紙面上で紹介し続けました。司馬遼太郎もまた朝鮮文化と日本文化とのかかわりに強い関心を持っており、同誌の座談会にたびたび出席しています。したがって、司馬遼太郎が高麗美術館の標札を綴るのも不思議なことではありませんが、はじめて当館を訪れるものは、そのつながりに驚くに違いありません。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は前庭に置かれた石造物の数々。なかでも、注目していただきたいのは、石人の奥にそびえ立つ大きな五重石塔。高麗時代のものだと考えられています。同様の石塔といえば、朝鮮半島からの渡来人によって築かれたといわれる滋賀県・石塔寺の三重石塔(奈良時代)を思い浮かべる方も多いでしょうが、建造された時代は数百年下るとはいえ、朝鮮半島にこのような大きな石塔が存在したことは驚きですね。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は美術館の外壁にはめ込まれた十二支像。朝鮮半島では十二支をかたどった線刻像がしばしば王陵墳墓のまわりに並べられていますが、日本では珍しいものなので、是非、ご覧いただき、ご自身の干支を探してみて下さい。
写真:乾口 達司
地図を見るベランダには信楽焼や常滑焼などの大型の陶磁器が所狭しと並べられています。そのなかには肩の部分に突帯のついたものもふくまれており、それは朝鮮の甕であるとのこと。それらを見比べることで、日本と朝鮮半島とのかかわりを考えてみましょう。
高麗美術館の魅力をご理解いただけたでしょうか。もちろん、館内の収蔵品も必見。日本文化の発信源・京都で朝鮮文化の魅力をご堪能下さい。
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