俯き加減の天使の肖像!鎌倉大仏の知られざるミステリー浪漫

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俯き加減の天使の肖像!鎌倉大仏の知られざるミステリー浪漫

俯き加減の天使の肖像!鎌倉大仏の知られざるミステリー浪漫

更新日:2015/08/30 12:47

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

鎌倉の大仏様と云えば、説明する必要もないくらい全国的に有名で、鎌倉に来た観光客のなかでも多くの方が参拝される、まさに鎌倉のシンボルの一つ。
そんな超有名な大仏でありながら、正確な建立年や原型作者が不祥であるのを始めとして、多くの謎に包まれているのをご存知でしょうか。
今回は、知られざるエピソードを交えて、ミステリアスで歴史ロマンあふれる『鎌倉大仏』をご紹介いたします。

俯き加減の天使

俯き加減の天使

写真:Naoyuki 金井

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突然、大仏の後姿で恐縮です。
かつて大仏を見学に来た小学生が、大仏の背中にある2つの扉を見て「天使の羽」と云ったとか。
まさに云い得て妙で、これは大仏の鋳造後、中に詰まっていた土を取り出すために作られた扉と云われているものですが、大仏が天使になった光景も素敵なものですね。

この写真の大仏を見ると、比率的頭が身体に比べて大きく、少し前に傾いているのがお判りでしょうか。
これ、実は鎌倉大仏の造られた鎌倉時代の仏像の流行スタイルであった、“頭でっかちの俯いた猫背”という体型を踏襲したもので、仏像にも時代によって流行があったのです。
古の大地震により、今よりも傾きが大きくなった時には、僧たちが「大仏様か泣いている」と大騒ぎをした逸話があるくらい、“これ以上でも、これ以下でもない”絶妙な傾きに拘っているのです。

勿論、現在は創建時の傾きですが、いずれにしても俯き加減の天使は、いつの時代でも愛されるシンボルなのです。

ミステリアスな天使

ミステリアスな天使

写真:Naoyuki 金井

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意外なことに鎌倉大仏は、奈良大仏に比べて教科書にあまり詳しく記述されていません。
それは、奈良大仏が勅命によって造営されたと云った明確な資料が多く残っているのに比べて、鎌倉大仏には、明確な資料があまり残っていないからなのです。

鎌倉時代の歴史書“吾妻鏡”には、奈良大仏を見た源頼朝が「鎌倉にも大仏が欲しい」と切望し、僧浄光が、民衆から資金を集めて建立されたと記載されています。
また、“太平記”などによると、当初は大仏殿が建てられていたのですが、大風などで倒れてしまい、二度三度再建されながらも最後は再建を断念し、これ以降、露座の大仏として親しまれたことなどの記述があるくらいです。

このように断片的な史料はあるのですが、建立年などの基本的事項を裏付ける正確な資料が無いため、歴史を教える教科書には記載しにくいというのがその理由です。
学校の勉強には不向きですが、それらの史料を紡いで、当時の大仏の素顔や歴史に迫ることこそ、歴史ロマンの醍醐味と云えるのです。

二代目は天使

二代目は天使

写真:Naoyuki 金井

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“吾妻鏡”によると、1238年に現在の地で大仏堂の建立が始まったとされています。
高さ24mという現在の倍以上の大きさで、5年後に開眼供養が行われたという記述がある一方、同時代の紀行文“東関紀行”では、1242年時点で大仏と大仏殿は3分の2ほど完成しており、銅造ではなく木造であったと記されています。
そして再び“吾妻鏡”によれば、1252年から金銅八丈の大仏の造立が開始されたとの記載があるのです。

これが何を意味しているかと云えば、1243年に開眼供養された大仏は木造で、銅造の大仏が、1252年から造立されたことになり、僅か10年ほどの間に2体の大仏が存在していたことを示唆しているのです。

この2体の関係には、木造が銅造の鋳造用の木型であったので、鋳造後木造は取り払われたと云う説と、木造が何らかの事象で消失し、代わりに銅造が造られたと云う説があります。
現在では、後者が通説になっていることから、この大仏は二代目であると考えられているのです。

黄金色の天使

黄金色の天使

写真:Naoyuki 金井

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ミステリアスな大仏は、そのフォルムも世界的に評判で、作者不詳ながらも、鎌倉時代らしい力強さと優美さを融合した美しい大仏と云われています。
特に奈良大仏と大きく違うのが結んでいる“印(手の形)”で、様々な願いをかなえる釈迦如来の印相である奈良大仏に対して、鎌倉大仏は、悟りの境地を表す阿弥陀如来の印相なのです。

また、鎌倉大仏は、奈良大仏同様かつては光り輝いていました。
奈良大仏には、金メッキが施されていたのに対して、鎌倉大仏には金メッキより費用のかさむ金箔が貼られていたのです。
これは、鎌倉大仏の素材が、純度の低い鉛の成分の多い銅を使用したことにより、鋳造の際の継ぎ目が非常に目立ち醜かったため、奈良大仏同様の金メッキでは継ぎ目が隠せないことから、あえて高価な金箔を使用したというのが、その理由なのです。

眉の間に白毫がある“白毛相”を代表とする大仏の「三十二相」(32の身体的特徴)と共に、両頬の一部分に、その金箔の名残を見ることができます。

国宝になった天使

国宝になった天使

写真:Naoyuki 金井

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奈良にあって鎌倉に無いのが“大仏殿”で、鎌倉にあって奈良に無いのが“胎内”。
そう鎌倉大仏は、胎内を拝観することが出来るのです。

胎内には、鋳造するときの木枠の跡が見られ、大仏が分割されて鋳造された様子や、その分割鋳造された継ぎ目に使われた高度な技術を目の当たりにします。
また、首の付け根辺りには、強化プラスチックが重ね貼りされた茶色い部分があり、頭を支える為に昭和に行われた補強の跡を見て取ることができます。

長年俯いているので首やら肩やらが凝ってくるのも無理ならぬところですが、このように高度な技術としかるべき補強こそが、鎌倉大仏の最大の注目ポイントなのです。
由緒正しくも何度も造り直され、大部分が江戸時代に造り直された奈良大仏と違い、由緒不詳ながら、建立当時のままの姿が評価されて国宝になった、謂わば鎌倉大仏のロマンと真実が詰め込まれているのが胎内なのです。

残念ながら胎内写真は、お見せすることができませんので、是非、ご自分の目で確かめて下さい。

最後に。。。

「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな」と、阿弥陀如来である鎌倉大仏を、奈良大仏と同じ釈迦如来と勘違いして詠んだ与謝野晶子の歌碑。
また、「座ってばかりいないで、わらじを履いて大仏様に行脚してもらおう」と、戦後間もない頃から始められた、茨城県の子ども会から奉納された“大わらじ”が境内にあります。
更に、未完成の蓮弁や大仏殿の礎石、そして朝鮮王宮内に建築されていたと伝わる観月堂など、大仏以外にも見どころは尽きません。

大仏様を拝観されるときには、是非、その周りのエピソードにも注目して、その魅力を余すところなくご堪能ください。
鎌倉の天使は、これからも輝き続けるのです。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/07/12 訪問

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