篤姫も宿泊!?岡山「旧矢掛本陣石井家」の豪華さと圧巻の存在感

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篤姫も宿泊!?岡山「旧矢掛本陣石井家」の豪華さと圧巻の存在感

篤姫も宿泊!?岡山「旧矢掛本陣石井家」の豪華さと圧巻の存在感

更新日:2015/08/04 12:02

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家

岡山県小田郡矢掛町は、今にも大名行列が街道を通り抜けそうな風情が残る江戸時代の宿場町。白壁・なまこ壁、格子窓の町家が居並ぶ通りに、昔ながらの本陣・脇本陣も堂々とした姿で佇んでいます。のんびり散策すると思わぬ史跡や名勝に出会える町でもあります。今回は、そんな宿場町矢掛の本陣として江戸時代に参勤交代の大名一行やあの天璋院篤姫も宿泊した「旧矢掛本陣石井家」をご案内します。歴史の息吹を感じて下さい♪

「旧矢掛本陣石井家住宅」の堂々とした佇まい

「旧矢掛本陣石井家住宅」の堂々とした佇まい

写真:村井 マヤ

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岡山県小田郡矢掛町は、小田川沿いの自然堤防の上できた宿場町でした。小田川沿いを車で走り、矢掛の旧宿場町を目指していると、江戸時代の建物と思しき白壁、本瓦葺の立派なお屋敷群を目の当たりにされるでしょう。

「旧矢掛本陣石井家住宅」のある旧山陽道に入り込むと、まるで江戸時代に迷い込んだかのような町並みが・・。その中に新しいお店なども出来て、なんだかおしゃれな街道筋になっています。

そんな通りに真備・倉敷方面から入り込むと、まずは旧矢掛脇本陣が見えてくるでしょう。こちらも旧矢掛本陣と一緒で国の重要文化財になっています。ちなみに脇本陣は、「旧矢掛脇本陣高草家住宅」といい、土・日のみ見学可能ですので、ご都合がつけば併せて見学してみて下さいね。

写真は、「旧矢掛本陣石井家住宅」の御成門を横から撮影したもの。
御成門は、大名家などが宿泊するとき開門され出入りをしたもの。手前に小さな屋根が付いた提灯台のような物が見えると思いますが、こちらに大名の名前が書いてある宿札(木札/関札)を掲げました。
御成門は、天保3(1832)年に再建された門で。欅の一枚板を張っている豪華な造りとなっています。

なんとも不思議な猫の屏風絵

なんとも不思議な猫の屏風絵

写真:村井 マヤ

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写真の屏風絵は、6本の尻尾と3つの耳を持つ猫の絵です。でも、妖怪や化け物ではなく、長寿の猫で縁起物。
この屏風絵が置いてある場所は、御成門を開けて入った正面玄関に飾ってあります。裏側には、頼山陽の叔父頼杏坪の書がしたためてあります。

石井家は、間口約36mで面積は1000坪という広さで、この町一番の規模。御成門、玄関、上段の間を備えた威厳ある佇まいのお屋敷です。
唐破風の玄関は、優美で格式あるものです。上段の間から眺められる中庭も当時のまま残されています。本陣屋敷の瓦には、「元和申年新建の家、元禄15年唐破風を添」とあり、その後正徳年間(1710年代)にも再建されました。

どんな方々が宿泊したのでしょう?

どんな方々が宿泊したのでしょう?

写真:村井 マヤ

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石井家は、屋号を佐渡屋といい古市から元和6(1620)年現在地に移住し、寛永12(1635)年本陣職を務めるようになったと言われています。この本陣には、年間平均14家の、西中国では萩、石見、安芸、九州では唐津、肥前、筑前、筑後、薩摩などの大名家が利用しました。

この矢掛本陣には、いったいどんな方々が宿泊したのでしょうか?
石井家には、本陣を利用した大名の宿札が多数残っていますので、そこから利用した日付や大名が割り出せます。
写真が、矢掛本陣に宿泊した大名や公家の宿札(木札/関札)です。
この宿札は、微妙に本陣の利用方法が違うのですが、それがお分かりになりますか?

本陣の利用は、大きく分けると次の三つに分類されます。
◆宿・・宿泊
◆休・・お昼休み
◆小休・・途中の小休憩  
また、本陣以外の民家で宿泊・昼休憩する場合は、下宿(しもじゅく)といいました。

写真の一番右端は、「伊達遠江守宿」と書かれており、9月18日に宇和島藩5代藩主が宿泊したことを示しています。実は、裏面にも記載があり、「安永5年丙申9月18日に到着して翌日朝6時に出立した」ということが書かれています。
右から2番目は、「松平肥前守休」とあり、お昼休憩に矢掛本陣に立ち寄ったことが分かります。ちなみに松平肥前守とは、佐賀藩9代藩主のこと。

そして、左から2番目は、他の宿札とは違う点があります。
それは、「御勅使 梅渓中将様小休」とあり、「御」と「様」がついている点。
通常宿札は、宿泊・休憩する大名家が用意するものですが、この勅使の宿札は、本陣側が準備したものです。そのため、「御」「様」が書かれているのです。ちなみに、この勅使は途中休憩をされています。

この木でできた宿札(木札)は、石井家に151枚現存。また紙製の宿札もあり、272枚も現存していました。紙製の宿札に関しては、保存や研究のため岡山県立博物館に保管されているものもあります。

「旧矢掛本陣石井家」は、あの天璋院篤姫が江戸へ輿入れする際、宿泊された宿です。その時の様子が当時の石井家の記録に残っています。どのくらいの人数が随行したか、前泊した神辺本陣を出発し、矢掛に嘉永6年9月17日に到着したことなどが記されています。

宿札や宿帳は、立派な江戸時代の歴史史料ですよね。

欄干が美しい・・上段の間♪

欄干が美しい・・上段の間♪

写真:村井 マヤ

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写真は、一段高くなっており美しい欄干が見事な「上段の間」です。本陣に宿泊・休憩した大名が利用しました。書院造りで簡素な造りですが、資材には粋で凝ったものを用いています。

写真では確認できませんが、上段の間の掛け軸のある床と違い棚の部分を左側の縁側から見ると、粋な資材を使用しているのが分かります。
また、上段の間の欄干は、桃山時代の作と伝わる大変美しい意匠が施されています。本陣を見学される際はじっくりご覧いただきたいのですが、左側が葡萄とリス、右がカラスウリと蝶の透かし彫りです。また、金箔が貼られた襖は、江戸時代後期の作品と考えられています。
この座敷は、天保2(1831)年11月に改築を開始し、天保3(1832)年3月28日に棟上げ、5月24日には萩の毛利公が宿泊した記録があり、改築は大急ぎで行われたようですね。

庄屋と酒造業を営んだ石井家

庄屋と酒造業を営んだ石井家

写真:村井 マヤ

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写真は、石井家の酒蔵にある酒の絞り機です。酒蔵には、参勤交代の際、薩摩藩島津家が持参し、石井家が預かっていた風呂桶なども展示されています。また、この酒蔵には天璋院篤姫が宿泊された記録についての展示もありますので、是非ご覧くださいね。

ここでは少しだけ、石井家の歴史についても簡単にご説明します。石井家は、戦国時代に猿掛城主(矢掛町と真備町の境)であった毛利元清に仕えた石井秀勝を先祖としています。元は武士だったのです。関ヶ原の合戦後、その長子・次子は毛利本家に従って長州へ。三子喜元が矢掛古市へ居住し、元和6年に現在地に移住しました。この喜元の子・喜昌の頃には、本陣職・町年寄役も兼ね酒造業を営み、4代当主の頃には、庭瀬藩の大庄屋にもなりました。

本陣の見学をされる場合は、酒造業の入口から石井家に入ります。太い縄のれんをくぐり、大きな土間の玄関から右の座敷に靴を脱いで上がり本陣の見学をします。その後、再び靴を履き今度は、中土間や米蔵・酒蔵・西蔵などの石井家の生活空間の見学をします。酒蔵・米蔵・西蔵は、江戸中期の建築物で、見応えがあります。女中部屋のあった場所では、江戸時代ならではのお話も・・。

また、裏門の奥にさらに長屋門がありますが、この門の正式名は、「裏門座敷長屋」といい宝永3(1706)年備中・森家の西江原陣屋から移築した由緒あるものです(昭和47年解体修復)。ここには、石井家当主と付き合いのあった文人墨客が宿泊しました。

著名人との付き合いを伺わせる掛け軸や書など

矢掛本陣には、お座敷や入口付近の展示スペースに何気なく素晴らしい品々が展示されています。
石井家ゆかりの文人としては、上段の間の掛け軸を書いた福山神辺の教育者・思想家として名高い菅茶山や、犬養毅など多数。何気なく飾ってあるので、見逃さないようにボランティアガイドさんに「これは誰の作ですか?」とどんどん質問して下さいね。
矢掛本陣を訪れたら、当時の参勤交代の様子がよく理解できますよ!

矢掛の町自体が史跡ですので、ゆっくり宿泊して楽しんで下さいね。おススメの古民家宿もありますので、是非ご利用下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/07/08 訪問

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