提供元:三菱地所株式会社
地図を見る「一丁倫敦」は「いっちょうロンドン」と読みます。一丁は100mほど。
昔、皇居馬場先門前の一丁ほどの通りに赤煉瓦のビルが並ぶ一画がありました。その光景を「ここだけはまるで倫敦のようだ!」と明治の人々は誇らしげに、見たこともない異国の都市に例えたのです。上の画像の奥に見える森が皇居です。
皇居と東京駅に挟まれた地域(つまり丸の内ですが)、江戸時代には親藩・譜代大名の上屋敷が並ぶ、江戸城に近い一等地でした。「丸の内」というのはお堀(または濠)の内側という意味に由来しているのです。
明治維新後1890年に三菱が買い取り、街づくりに着手します。払い下げられた広大な土地に建物はなく「三菱ヶ原」と呼ばれたこともあります。
日本の近代化を牽引する三菱は馬場先門の東側に、近代国家の経済中心地として度肝を抜くような街をつくっていきます。1894年に三菱一号館を、続いて二号館、三号館…と、それはロンドンのロンバート街を手本にした赤煉瓦三階建てで統一された洋風オフィス街でした。まさに近代オフィス街発祥の地といってよいでしょう。
「天皇の料理番」では緑山オープンスタジオに大がかりなセットを組み、一丁倫敦を再現しました。ドラマの進行に合わせて建設状況も変えていったのだとか。主人公の秋山篤蔵が初めて東京に行ったのは1904年ですから三菱六号館、七号館ができたころでしょうか。第11話では路面電車が走りましたね。
一丁倫敦の建物はもう残っていませんが、2009年三菱一号館が同じ場所に復元されました。明治期のジョサイア・コンドルの原設計をもとに美術館として生まれ変わったのです。
「今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています」(三菱一号館美術館ホームページより)
無料で入れる資料室では、当時の設計図を見ることができます。また部材の製造なども動画で紹介していますので、立ち寄ってみましょう。
三菱一号館は貸しオフィスだったので、館内は細かく区切られていましたが、それも忠実に復元されています。それによって逆に展示作品との親密感をよび、美術館としてはユニークな雰囲気になっているといえるでしょう。
提供元:三菱一号館美術館
地図を見るカフェの名前は「Café1894」。そう、明治の三菱一号館ができた西暦年です。
柱、天井、照明、鉄骨回廊、カウンターなど当時の様子が忠実に復元されています。このように細部まで復元できたのは、たった一枚残っていた写真から明治期の内部の様子を知ることができたからです(その写真のコピーを資料室で見ることができます)。
銀行営業室では行員が働くスペースとお客さんが出入りするスペースがカウンターで仕切られていましたが、カフェでもこの仕切りはうまく活かされています。行員が働いていたスペースはカフェの客席に、銀行のお客さんが出入りしていたスペースはカフェの空席待ちの人のために椅子・テーブルが置かれています(一部客席もあり)。このゆとりが贅沢ですね。棚にある再建時の資料や展覧会のカタログをめくりながらゆったりした気持ちで席が空くのを待つことができます。
さて、いよいよ席に着いて見上げると、天井の高さが一層際立ちます。一階と二階が吹き抜けになっていて8mもあり、中間には回廊が廻らされています。半年かけて忠実に復元された彫刻、六本の柱に支えられた天井は見ごたえ十分。
日中はランチを含むカフェメニュー、夜はディナーメニューになりムーディな照明に切り替わります。展覧会期間中はタイアップメニューも楽しめますよ。
通りからはよく伺えないのですが、三菱一号館とお隣の丸の内ブリックスクエアに挟まれた中庭「一号館広場」はおすすめの穴場です。現代的な超高層ビルの曲線と赤煉瓦のコラボはヨーロッパの大学にでも迷い込んだかのよう。何とも言えない安心感を醸し出しています。
噴水、カフェ、樹木、ベンチ…とくつろぎアイテムが揃い、安易な表現で恐縮ですが都会のオアシスという言葉がぴったりです。
三菱一号館の原設計者ジョサイア・コンドルは、他にも鹿鳴館や三菱の総帥・岩崎家の邸宅(現・旧岩崎邸庭園)などを設計しています。
鹿鳴館といえば、ドラマの主人公・秋山篤蔵が修行していた華族会館ですね。当時、華族会館は元鹿鳴館だった建物を使用していたのです。鹿鳴館があった場所は日比谷公園の東向いで、実は三菱一号館から徒歩7〜8分で行けてしまいます。道順も簡単で、馬場先門交差点を左に曲がり、あとは真っ直ぐ進むだけ。帝国ホテルとNBF日比谷ビルの間の塀に「鹿鳴館跡」というプレートがあります。
篤蔵は華族会館と千鳥ヶ淵の英国公使館を掛け持ちしていたわけですから、皇居の周りを半周も走っていたことになりますね!
ちなみに、華族会館のドラマ撮影は綱町三井倶楽部で行われましたが、こちらもジョサイア・コンドルの設計です。
今世紀に入ってから丸の内は大きく変貌しました。
2002年に丸の内ビルディング、2007年には新丸の内ビルディングがオープンし、ビジネス一辺倒からブティックやカフェ、観光施設が立ち並ぶ、一大観光スポットとなりました。赤煉瓦の三菱一号館や、こちらも赤煉瓦の東京駅丸の内駅舎(2012年に復原竣工)と合わせて、もはや一丁倫敦でも一丁紐育(ニューヨーク)でもない東京独自の顔になりつつあります。100年前のドラマの景色を想いつつ歩くと一層奥深い東京めぐりになるでしょう。
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(2024/10/15更新)
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