大阪で真田幸村が活躍したのは大坂の陣です。
大坂の陣までは、父・真田昌幸と合わせて真田父子という扱いでした。しかし昌幸が亡くなり、大坂の陣では幸村が采配を振っています。
徳川と豊臣の決戦である大坂の陣では、真田幸村は豊臣方に付き大阪城に入城します。
2015年は大坂の陣から400年ということもあり、大阪城では様々なイベントが行われています。
三光神社は「真田丸」があったところです。
真田丸は大阪冬の陣で、真田幸村が築いた出城で、多くの敵をここで撃退しました。
境内には幸村の像が設置されています。また、像の脇にある穴は「真田の抜穴」と呼ばれていて、大阪城まで繋がっていたという伝説があります。
安居神社は、大坂夏の陣で真田幸村が戦死した場所として知られています。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で圧倒的な兵力差で苦戦していた幸村は、徳川家康本陣のみに狙いを定めて突撃を敢行します。この反撃で徳川方を突き崩し、家康を後一歩のところまで追い詰めました。
しかし、兵力差に勝る徳川軍は次第に体制を立て直し反撃を開始。追い詰められた幸村は安居神社で休んているところを襲撃され討ち死にしたと言われています。
境内には真田幸村の像と戦死跡の碑が建てられています。
さらに、真田家の家紋である六文銭を描いた絵馬がありますので、ぜひ手に入れましょう。
大阪の真田幸村ゆかりの地をめぐるときに忘れられてしまうのが、ここ心眼寺ではないでしょうか。
心眼寺は大阪冬の陣で真田幸村が築いた大阪城の出城「真田丸」の跡に建てられた寺です。三光神社で、真田丸の跡地に行ったと思ってしまいますが、ここも真田丸の跡地です。
三光神社の近くですが、その広さが感じられます。
山門脇には「真田幸村出丸城跡」の碑が建立されています。寺は真田幸村・幸昌親子の冥福を祈るため、大阪の陣の数年後に創建されました。
真田幸村が活躍した大阪はいかがでしたか。
2015、16年と大坂の陣から400年、大河ドラマと幸村関係のイベントが多く開催されます。それらに合わせられるとさらに楽しめるでしょう。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/10/6更新)
- 広告 -