多田源氏の本貫地の最奥部、能勢の三草山への登山は岐尼(きね)神社から。この神社の創建は延暦元年(782)と古く、摂津国能勢郡の延喜式内社です。
本来の祭神の枳根命(きねのみこと)は、紀氏の祖である天道根命の五世孫・大名草命の子、そして武内宿禰(たけのうちのすくね)の曾祖父にあたります。枳根命は三草山=美奴売(みぬめ)山の神を奉斎する巫女でした。
美奴売山の神は、神功皇后が新羅に遠征の際に船材の杉を提供し、自らも守護神として乗り込み戦を勝利に導いたとされ、この地が古くより木材の集積地であったことがうかがわれます。
三草山はこの地の地主神に当たる由緒正しい山。
推古天皇の時代には日羅上人によって山頂一帯に清山寺が築かれていたと言われ、この慈眼寺は、その清山寺を取り巻くように存在した49院の1坊・白雲坊のあったところ。
清山寺は戦国時代に焼き払われ廃寺となりましたが、本尊の千手観音と宝筐印塔は慈眼寺の観音堂に移され、今に伝えられています。
寺の墓所には、江戸時代中期、文化年間(1804〜1817年)から今日まで伝えられてきた素浄瑠璃・竹本文太夫派代々の墓碑も残されています。
素浄瑠璃とは太棹三味線と太夫の語りによって物語が進行する渋い座敷芸です。能勢の宿野にある浄瑠璃シアターでは、保存会により定期演奏会も催されています。
慈眼寺から小1時間でたどることのできる三草山一帯は現在、(財)大阪府みどりトラスト協会が30年契約で地上権を獲得し、シジミ類の蝶・ゼフィルスの森として希少生物保護の活動を続けています。
三草山は、ナラガシワ、クヌギ、アベマキなどの落葉広葉樹から成る森で、地域住民の薪炭林として利用されてきましたが、希少種のヒロオビミドリシジミほかミドリシジミ類(=ゼフィルス)の蝶25種の内10種が生息しています。
ゼフィルスに限らず様々な中・大型蝶や植物、キノコ、昆虫も豊富で、自然観察にはもってこいのところ。自然を愛でながら散策する山旅はとても快適です。
標高564mの山頂手前には清山寺の遺構が方々に散見され、栄枯盛衰の夢のあとに、蝶がハラハラと舞う様はもの悲しくも見事なものです。また、晴れていれば、北摂の山々の向こうに瀬戸内海も眺められる素晴らしい眺望が得られます。
写真は三草山三角点から台地を成す頂上付近を撮影。
才の神と呼ばれ親しまれてきた峠は、今でこそ森閑とした森におおわれていますが、村境に位置し、八筋の路がここで相会う交差点、かっては峠を守るサエの神が置かれていたのでしょう。今も能勢村最古の年号の刻まれた道標や地蔵、そして名号板碑などが残されています。
写真は2014年の5月25日に当地を訪ねた際のもので、ゼフィルスではありませんが、クロヒカゲチョウです。山頂からこの峠へ降りる間にも数種の蝶が道案内をしてくれます。
この山塊はいつも人影は稀で、晴れた日には実に様々な生き物に出会うことができますが、雨の日は、雨の日ながらの楽しみに満ちており狙い目です。
さて、ここからしばらく山道を降ると突然視界が開けて長谷の千枚田の頂上付近に出ます。この明暗の対照もこの旅の魅力の1つです。
雨の日がとりわけ素晴らしい長谷の千枚田。千枚というのは数多いということで、数えてみると200余りの形も様々な水田が広がっています。斜面を開墾した棚田には「がま」と呼ばれる石組みで作られた給排水設備が見られ、幾重にも重なる緑なす棚田は秋には黄金色に輝き、絶え間なく響く水音とともに懐かしさで胸いっぱいになります。
千枚田の中腹にはかやぶき農家が開放されており、管理人さんが居ればちょっと一休みして美しい里山の自然を満喫するのもいいでしょう。
写真はその農家の縁側から棚田越しに三草山を捉えたものです。
能勢電鉄・山下駅前よりのバスで森上下車。そこから岐尼神社を皮切りに慈眼寺から三草山へ登り、才の神峠より長谷の棚田を経てバス停までのんびり歩いて約5時間の行程です。全天候型の素晴らしい景観が楽しめる猪名川最上流の景勝地。ぜひトライしてください。
バスで行かれる場合は本数に限りがありますので時刻表をしっかり頭に入れていきましょう。
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(2024/9/18更新)
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