グラナダ・ロマ族の真実に迫る!「サクロモンテ洞窟博物館」とフラメンコ

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グラナダ・ロマ族の真実に迫る!「サクロモンテ洞窟博物館」とフラメンコ

グラナダ・ロマ族の真実に迫る!「サクロモンテ洞窟博物館」とフラメンコ

更新日:2015/07/31 19:02

高橋 樂のプロフィール写真 高橋 樂 旅行ブロガー

アルハンブラ宮殿の北側は、ロマ族が住み、夜ともなれば洞窟フラメンコのタブラオが賑わいを見せるサクロモンテの丘と、イスラム教徒の文化が残り、観光客の注目度も高いアルバイシン地区。
しかしその裏には、15世紀、キリスト教徒の治世になり、迫害されて生きてきた彼らの苦しい歴史があります。サクロモンテ洞窟博物館やフラメンコを通して、彼らの辿ってきた厳しい歴史と文化の融合、その魅力に迫ってみたいと思います。

サクロモンテ洞窟博物館とは

サクロモンテ洞窟博物館とは

写真:高橋 樂

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スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿北側には、11世紀、イスラム教徒によって築かれた旧市街「アルバイシン地区」や、ロマ族(スペイン語でヒターノ)の居住地域「サクロモンテの丘」が広がります。

その丘の中腹にあるのが、「サクロモンテ洞窟博物館」。実際に最近まで使われていた12の洞窟住居(クエバ)を使い、ロマ族の生活や仕事場の様子を再現しています。

この洞窟住居は、丘に横穴を掘って作られ、石灰を混ぜた塗料で、外も中も壁が白く塗られています。石灰は暑さ寒さを抑える断熱効果に優れ、加えて防虫効果もあるのだとか。案外快適な住居だそうです。

グラナダ陥落後のイスラム教徒とロマ族

グラナダ陥落後のイスラム教徒とロマ族

写真:高橋 樂

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スペインでは、長い間国土を巡り、レコンキスタ(国土回復運動)を掲げるキリスト教徒とイスラム教徒が激しく争ってきました。しかしついに、1492年、キリスト教徒が最後のイスラム王朝グラナダ王国を陥落させます。

その後のキリスト教徒の治世において、主君を失いここに残されたイスラム教徒や、少し前からここに流れてきたロマ族(ヒターノ)の人々は、一体どうなったのでしょうか。

まずは、ロマ族。彼らは北インドを起源とする、15世紀初頭にスペインに流れて着いた流浪の民です。彼らは個人主義で協調性がなく、ルールを守らないため、なかなか土地に馴染めません。また、数が増えるに従い、彼らが原因の盗難トラブルも増えてきました。

そこで、15紀末、キリスト教国はロマ族に対し、土地に残るためには「職に就き定住すること」を条件とし、守らなければ罰を下すと言う「ヒターノ迫害令」(一種の同化政策)を出します。この迫害は18世紀末で停止されますが、その後も根強い差別が残ります。

一方、グラナダ陥落で主君を失ったイスラム教徒はどうなったのでしょうか。

降伏協定は、当初、敗者のイスラム教徒にとっては寛容なもので、信仰の自由も認められていました。しかし、段々と不寛容になっていきます。16世紀になると、イスラム教徒のキリスト教への強制改宗が行われました。しかし、実際は改宗を建前とする「隠れイスラム教徒」だった人が多かったようです。そして、それを危険視したキリスト教徒側は、17世紀初頭に大変厳しい「モリスコ(改宗イスラム教徒)追放令」を出します。

迫害、イスラムとロマの出会い、そして融合

迫害、イスラムとロマの出会い、そして融合

写真:高橋 樂

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そうした経緯で、モスリコ(改宗イスラム教徒)は短期間にスペインから追放された…はずだったのですが、真実はどうも違うようです。モスリコの中には、同じく迫害を受けているロマ族のコミュニティに潜伏していた人や、後に戻ってきた人達もいたようです。ロマ族はアウトローには寛容な人達でしたし、風貌からしても紛れ込みやすかったのもその要因でしょう。

事実、モスリコ追放令の後、ロマ族の人口が急激に増えました。そして、元々モスリコの仕事だった、農業や鍛冶、織物、陶器、大工等、勤勉が要求される職人系の仕事を、それが苦手そうなロマ族が職業にしたこと、また、多くの都市でモスリコとロマ族の居住区が近かった(アルバイシンとサクロモンテも隣同士)ことも、そういわれている所以です。

こうして、グラナダを追放されたイスラム教徒は、密かにロマ族と文化も人種も融合し合いながら、ロマ族としてサクロモンテの丘付近に定住するようになりました。それが、この博物館のある一帯です。

サクロモンテ洞窟博物館では、彼らの家具や生活道具、仕事道具、工芸品の数々を見ることができます。こういう複雑な歴史を知った上でこれらを見ると、また見方が変わりますね。

サクロモンテ洞窟博物館からの絶景

サクロモンテ洞窟博物館からの絶景

写真:高橋 樂

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サクロモンテ洞窟博物館のトイレの前あたりに立ち、アルハンブラ宮殿の方向を望むと、そこは絶景です。ヘネラリフェを手前に、サン・ニコラス展望台とはまた違った壮大な景色を楽しむことができますよ。

丘を上り下りする際も、この方向を見れば絶景が広がっています。
かつてここに住んだロマ族の人々は、宮殿を見て何を思ったのでしょうか。彼らの胸の内に思いを馳せてみると、また一味違った景色に見えますね。

迫害から生まれた嘆き・叫びは舞踊芸術フラメンコへ!

迫害から生まれた嘆き・叫びは舞踊芸術フラメンコへ!

写真:高橋 樂

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こうしてキリスト教徒の迫害は、期せずしてロマ族とイスラム教徒の文化の融合を生みました。その代表格がフラメンコです。アンダルシアのロマ族(ヒターノ)がモリスコ(改宗イスラム教徒)の踊りや音楽を取り入れ、18世紀末頃にその原型ができたといわれています。

長い迫害と差別の中で生まれた、彼らの叫びや嘆きは、歌や踊り、音楽となり、スペインを代表する舞踊芸術、フラメンコへと昇華されました。ネガティブな感情から生まれた芸術とは、見る者を圧倒させる強い力がありますね。

サクロモンテ地区には、いくつか洞窟住居を利用したタブラオがあります。フラメンコを見ながら食事ができるレストランです。会場は、天井から沢山の鍋やフライパンがつるされていて大変ユニーク、中央スペースがステージで、席とも近いので臨場感は満点ですよ。
鍋が天井からぶら下がっている理由は、鍋作りが彼らの伝統的職業だからではないでしょうか。鍋は、彼らのアイデンティティであり、それらで飾り立てることはプライドの証なのかもしれません。

この付近で有名なお店は、写真の「Venta el Gallo」や「ロス・タラントス(Cuevas Los Tarantos)」、「Zambra Maria La Canastera」等です。ぜひ一度訪れてみてください。

まとめ・その他

グラナダの歴史の勝者はキリスト教徒。敗者となったイスラム教徒や、北インドからの流浪の民、ロマ族(ヒターノ)は、15世紀以降、勝者キリスト教徒の繁栄の陰で、迫害と差別を受け続けました。しかし、彼らはしたたかに生き続けます。イスラム教徒は追放されても、一部はロマ族の社会に潜り込み、文化を融合させ、今に続く豊かな伝統芸術や産業を育みました。そこで生まれたフラメンコは、ロマとイスラムの文化の最大の結晶といえるでしょう。
サクロモンテ洞窟博物館と洞窟フラメンコのタブラオを訪れ、厳しくも深遠なる歴史に思いを馳せれば、きっと彼らの魂の叫びに心揺さぶられることでしょう。

■その他
・行き方は、ヌエバ広場からアルハンブラバスC2でSacromonte2下車、丘を登り約7分で到着。
・チケット売り場では水など飲み物も販売。
・サクロモンテ付近では、洞窟を部屋にしたホテルが人気。お勧めは、アルハンブラの絶景が見える「アパルタメントス モンテスクラロス」。下記関連記事をご参照ください。
・同じロマ族でも、フラメンコ等、しっかり職業に就いている人もいれば、今も物乞いや泥棒をしている人もいます。彼らは分けて考える必要があります。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/19 訪問

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