写真:渡部 洋一
地図を見る第二次大戦中、泰緬鉄道敷設に携わったイギリス人捕虜と、それを指揮した日本人大佐との対立と交流を描いた大人気映画『戦場にかける橋』。作中で建設された橋のモデルとなったのが、今回ご紹介する「クウェー川鉄橋」。カンチャナブリーの町を流れるクウェー・ヤイ川に架かる全長約250メートルの鉄橋で、映画のファンや歴史を学ぶ旅人などで賑わうタイを代表する観光名所となっています。
実際にこの地を訪れれば、「クワイ河マーチ」に合わせて兵たちが橋の上を行進する映画の名シーンを思い起こす方も多いことでしょう。
写真:渡部 洋一
地図を見るバンコク市内のトンブリー駅からミャンマーとの国境近くのナムトク駅まで約210キロを結ぶタイ国鉄の「南線(ナムトク支線)」。かつてその路線はミャンマーまで伸びており、「泰緬鉄道」と呼ばれていました。第二次世界大戦中、日本軍が物資の輸送のために連合軍捕虜や現地の労働者に造らせた鉄道です。
当時、このルートのほとんどは未開のジャングル。一刻を争う戦況の下、約1年3ヶ月という短期間で400キロを超える路線を完成させた突貫工事は過酷を極めるものでした。建設には連合国捕虜と東南アジア労働者のべ25万人以上が動員され、劣悪な労働環境によって数万人が命を落としたと言われています。あまりにも多くの犠牲の上に敷かれたこの鉄道は、またの名を「死の鉄道(Death Railway)」とも呼ばれ、悲劇の歴史を今に伝える貴重な存在です。
泰緬鉄道建設の中でも有数の難所であったと言われるクウェー川鉄橋。数え切れない尊い命と引き換えに架けられたその橋の上を、今日も様々な人々の想いを乗せた列車が走り抜けています。
写真:渡部 洋一
地図を見るローカル線である泰緬鉄道は、一日の運行本数が三往復ほど。電車が通らない時間、クウェー川鉄橋は人間の歩道となります。
そこにいるのは、橋の上で記念写真を撮る人、線路やトラスに手を触れ鉄オタ魂を揺さぶる人、彼らにお土産を売ろうと必死な人、買い物袋をぶらさげ日常感を漂わせながら歩く人など様々です。単に鉄道の路線というだけではない、悲劇の歴史の証人としての顔、有名な映画の舞台であり世界中から旅行者の押し寄せる観光名所としての顔、そしてこの地に生きる人々の生活の道としての顔。現役の橋であるが故に様々な顔を持っていることもまた、クウェー川鉄橋の大きな魅力かもしれません。
写真:渡部 洋一
地図を見るカンチャナブリーを訪れた旅行者たちが最も盛り上がるのが、1日3往復ほどの列車がクウェー川鉄橋を渡る瞬間です。
実はクウェー川鉄橋の上を歩く観光客は列車が来ても橋を降りる必要はなく、橋上に数カ所設けられた待避所から間近に列車を見ることができるのです。列車は徐行するので、自ら身を投げ出すような暴挙にでない限り安全は確保されています。
日本であれば「間もなく列車がやってきます。危険ですので橋から降りてください」という機械的なアナウンスが流れるシーンですが、そこはアジア。ゆるい空気の中を走り抜ける列車を超スレスレに眺める経験は、いかにもアジア的で印象深い旅の思い出となることでしょう。
写真:渡部 洋一
地図を見るクウェー川鉄橋から南に歩いたところに、戦争の歴史を今に伝える「JEATH戦争博物館」があります。「JEATH」とは、泰緬鉄道建設に関わったJ=Japan(日本)、E=England(イギリス)、A=America・Australia(アメリ力・オーストラリア)、T=Thailand(タイ)、H=Holland(オランダ)の頭文字を用い、DEATH(死)をもじってつけた名称。豊富な資料と展示によって歴史を学ぶことのできる博物館です。
日本軍の指揮の下、原爆でも戦いでもなく鉄道の敷設工事で多くの人々が亡くなった、その事実に向き合うこともまた、日本人として大切なことなのかもしれません。
タイ西部、カンチャナブリーの町にかかるクウェー川鉄橋の歴史と見所をご紹介しました。バンコクからカンチャナブリーへは1日約3往復の鉄道の他にバスでもアクセスでき、日帰りも十分に可能です。
タイを訪れたのなら、是非ともクウェー川鉄橋に足を運んでみませんか?そこには、映画ファンも鉄道マニアも歴史好きもきっと感じるものがある、独特の空気が流れています。
クウェー川鉄橋へのアクセス等の情報は記事下部にある「MEMO」よりご覧いただけます。「南線(旧泰緬鉄道)」の時刻表は、現地で最新のものをご確認ください。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/12/14更新)
- 広告 -