写真:万葉 りえ
地図を見るアスペンドス遺跡があるのは、トルコの地中海に面したアンタルヤの地域。アンタルヤは地中海きってのリゾート地で、毎年ヨーロッパからたくさんの観光客が訪れます。この辺りは温暖で肥沃な土地。
古代から「パンフィリア…すべての種族の土地」と言われていて、華麗な古代遺跡がいくつも残っています。多くの都市が作られた中で、ここアスペンドスは一番の繁栄を誇った町でした。
写真:万葉 りえ
地図を見る幹線道路から遺跡がある方へと道を入ると、ご覧のようにまだ手つかずの遺跡が畑や民家の間にいくつも残っています。
写真:万葉 りえ
地図を見るエーゲ海から地中海にかけて、ギリシャのポリスのような町が植民地として作られていきました。
アスペンドスも同じように、広場(アゴラ)や神殿などがあった上市のアクロポリスと、港があり輸送商業地域だった下市で成り立っていました。アレクサンダー大王の遠征やペルガモン王国に治められたりした後、ローマ帝国の領土になり2〜3世紀に黄金時代を迎えます。
写真:万葉 りえ
地図を見る公会堂や噴水などが作られたのもローマ帝国の時代。野外劇場の南側の入り口には、この劇場がマルクス・アウレリウスの治世の時(161〜180AD)に建設され、建築家は地元のアスペンドス人 ゼノンであると刻印された跡が今も残っているそうです。
それだけでなく、ステージも、出演者達が控えていた場所も、ほとんど変わることなく残っていて、催し物がなければステージ部分の奥にも入ることができるのです。
写真:万葉 りえ
地図を見る二万人が収容できるというこの大きな野外劇場。客席の上部は並んだアーチ形の装飾がきれいで、そこまで上ることができます。上からの眺めは実に爽快!
この劇場は音響効果が良いということでも有名です。眺めだけでなくステージを囲むような造りから音響効果の素晴らしさも感じていただけるでしょう。ただし、手すり等はありません。石段が欠けている部分もあるので上まで行かれる際は十分に気を付けてください。
写真:万葉 りえ
地図を見るローマ帝国が分裂したあと、アスペンドスでは大規模な地震が起こります。また、下市にあった港も河川からの土砂によって埋まってしまい、7世紀ごろにはさびれてしまいました。
そんなアスペンドスの遺跡が再びよみがえったのは13世紀のこと。セルジュク朝のスルタンであったカイクバート1世がここを復元させ、コバルトブルーが美しいセルジュク朝のタイルで装飾を施し夏の住居としていたのです。
今はもうタイルの装飾は残っていませんが、地中海に降りそそぐ太陽の光をうけて大変見事だったと伝わっています。
写真:万葉 りえ
地図を見る写真:万葉 りえ
地図を見るアスペンドスでははじめは井戸や水槽で水を供給していたのですが、都市が繁栄し人口が増えるにつれて水の問題も避けられなくなりました。ローマ帝国の建造物として、立派な水道橋の跡も残っています。時間があれば、上市の奥のほうへ足を運んでください。
そして、アンタルヤ考古学博物館へ行くとパンフィリアの遺跡から出土したものが数々展示されています。もちろん、発掘されて出てきたものの中には、美しいタイルの破片も。
写真:万葉 りえ
地図を見るこの地方の歴史の古さや、民族が変わっていった様子などを知ることができるので、時間があるなら是非見ていただきたい博物館です。
写真:万葉 りえ
地図を見るトルコの地中海側は日本ではそれほど有名ではありません。しかしアンタルヤはヨーロッパの人々には人気のリゾート地。旧市街カレイチには、セルジュク朝が立てた尖塔イヴリ・ミナーレが今も残り、街のシンボルになっています。訪れれば、きっとここを夏の住居にしたくなったカイクバート1世の気持ちがわかるはず!
約2000年近く前の遺跡なのに、今もコンサートやオペラに使われているなんて驚きますよね。野外劇場(ローマ劇場)の遺跡は数々ありますが、多くが階段状の客席が残っているだけ。ここまで保存状態が良いのは、大変珍しいといっていいでしょう。
長い時代を経てきながら今も現役の劇場で、かつての大都市を感じてきてください。
カイクバート1世は、コンヤを王都としたセルジュク朝の最盛期のスルタンの一人です。国内の交易路を整備し、いくつかのキャラバンサライ(隊商宿)を寄進しています。
キャラバンサライについては下記のMEMOにある【LINEトラベルjp 旅行ガイド】の記事を参考にしてください。
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(2024/11/4更新)
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