写真:Naoyuki 金井
地図を見る明治維新による廃仏毀釈の中で、鎌倉では次々と寺院が廃寺となりました。鎌倉は、東京にも近いことから、明治になって財をなした人たちが、裏山まですべて付属して分譲されたこれらの広大な廃寺跡地に、挙って別荘・別宅を建て始めました。
このような広大な土地のある別荘・別宅の内、現在も残っているのが『鎌倉三大洋館』で、「旧加賀前田家別邸(現・鎌倉文学館)」、「旧華頂宮邸」、「旧荘清次郎別荘(現・古我邸 邸宅レストラン)」の三館はいづれも谷戸にあり、敷地内の崖には鎌倉特有の墓である“やぐら”を伴っている廃寺跡があるのが大きな特徴です。
そして、これ以外の洋館は、普通の宅地としての広さの敷地に建てられた中規模以下の洋館となり、一般的な住宅地に存在しています。
『鎌倉三大洋館』は、その建物や規模と共に、鎌倉の歴史・文化をも背負っている貴重な洋館なのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る昭和11年、旧加賀藩前田家第16代当主前田利為氏が建築したのが“旧前田家別邸”。その後、ノーベル平和賞受賞の佐藤栄作元首相が別荘として利用したほか、三島由紀夫の小説「春の雪」の舞台にもなりましたが、現在は国登録有形文化財として『鎌倉文学館』となっています。
相模湾を見下ろす谷戸の中腹に位置しており、敷地は長楽寺跡地ですが、その名残は、戦時中に防空壕に使用された“やぐら”跡が示しています。
1階は鉄筋コンクリート造りで、外壁は当時鎌倉の別荘建築物の流行であった二丁掛タイル仕上げ。2、3階は木造で、半六角形の張り出し窓・半円形欄間の飾り窓などが特徴的な洋風デザインですが、瓦葺の切妻屋根と深い軒といった和風のデザインも見られる和洋折衷の外観です。
内部は、アールデコ様式が随所に散りばめられ、大理石の玄関、床のモザイク模様の寄木貼り、飾り窓やステンドグラス、そして緻密な照明などが華やかさと重厚さを醸し出しています。
文学館の展示とバラで有名ですが、洋館と共にその広大な敷地を見ていただけると、廃寺後の様子などが理解できる大規模洋館の特徴を残しているのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る昭和4年に華頂博信侯爵邸として建てられたのが『旧華頂宮邸』で、華頂宮家の沿革から通称で呼ばれています。始めから常住の住宅として造られましたが、華頂夫妻が住まわれたのは数年だけで、紆余曲折の後、平成8年に鎌倉市が取得し、現在は国登録有形文化財です。
この建物は、旧前田家邸同等に宅間ヶ谷という谷戸の奥にあり、閑静な住宅地と緑に囲まれています。建物の特徴は、名称の由来である“壁と木造の部分が半々となる”ハーフティンバー様式です。西洋民家に見られる柱や梁などをそのまま外部に現し、その間の壁を石材・土壁などで充填した北方ヨーロッパの木造真壁建築が、谷戸に似合う美しい佇まいです。
もう一つの注目は、“日本の歴史公園100選”にも選ばれた庭園で、幾何学的なフランス式庭園には、バラや紫陽花など四季折々の花が楽しめるほか、借景として妙本寺・衣張山特別保存地という自然の景観も見事なのです。
すぐ近くには竹寺で有名な“報国寺”がありますので、合わせて和洋の佇まいを楽しむと良いでしょう。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る三菱銀行重役の荘清次郎氏が別荘として建築したもので、その後、浜口雄幸、近衛文麿等が使用したことから歴代総理大臣の別荘となりました。
昭和12年に日本土地建物の経営者であった古我貞周氏が取得し、その子息である日本のモータースポーツのパイオニア、“バロン古我”こと古我信生氏が引き継ぎ、当時は、この敷地でレーシングカーのチューニングや組立を行い、レース会場に向かったものでした。
他の2つの洋館が、国登録有形文化財に指定されているのに対して、この洋館が指定されていないのは、バロン古我氏が、生前そういったことが嫌いてあったからでした。また、個人宅であったことから非公開のため、鎌倉三大洋館とは名目だけで、多くの人たちが楽しめる観光スポットではなかったのです。しかし、老朽化による修復等の必要性から、古我家の協力により個人宅が『古我邸 邸宅レストラン』として生まれ変わり、2015年春から営業が開始され、一般の方の来訪が可能になったのです。
鎌倉駅からも近いので、鶴岡八幡宮や小町通り散策のおりに立ち寄り、ランチやカフェで一休みするのも良いでしょう。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る鎌倉三大洋館は以上ですが、参考の為に『KAMAKURA石窯ガーデンテラス』をご紹介しておきます。何故、ご紹介するかと云えば、この洋館の敷地も廃寺となった延福寺跡地であり、鎌倉洋館の大規模洋館にあたるからなのです。
延福寺は、足利尊氏の異母兄高義が母の供養のために建てた寺で、尊氏の同母弟直義の菩提所大休寺も隣にあったのですが、両寺とも廃寺となりました。
その延福寺跡地に貴族院議員の犬塚勝太郎が別邸として大正11年に建てたものが“旧犬塚邸”で、ドイツ人の建築家によって設計されたステンドグラスの彩りが美しい洋館でした。
そして大休寺跡地も含めて全て浄妙寺所有となり、2000年にカフェレストランになってからは、人気のスポットになっています。
本来は「鎌倉四大洋館」と云える歴史と規模を持つ洋館ですが、内装が往時の姿をとどめていないことと、日本人の“三大好き”により、あえて外されているのです。
テラスに入館するにも別途浄妙寺の拝観料がかかりますが、敷地には足利直義と伝えられる貴重な“やぐら”もあり、まさに廃寺の趣を色濃く残しています。
鎌倉三大洋館巡りはいかがですか。
三館は離れていますが、それぞれの周辺には鎌倉の観光名所が揃っていますので、一度に巡るのではなく近くに来られたら寄るのも良いでしょう。
古都鎌倉の社寺めぐりとは一味違った、心ときめくお嬢様気分を味わう鎌倉散策はいかがですか。
※内部の見学・利用については、HPなどでご確認ください。
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(2024/12/13更新)
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