光り輝く冠や飾履も!滋賀・鴨稲荷山古墳「高島歴史民俗資料館」

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光り輝く冠や飾履も!滋賀・鴨稲荷山古墳「高島歴史民俗資料館」

光り輝く冠や飾履も!滋賀・鴨稲荷山古墳「高島歴史民俗資料館」

更新日:2015/08/14 15:22

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

現在の天皇の祖先をたどっていくと5世紀、「継体天皇」にたどり着きます。倭の五王の一人、雄略天皇が亡くなった後、後継者を巡り、政局が不安定になっていました。継体天皇の即位で一応落ち着くのですが、この継体天皇を支持したのが滋賀県高島市を拠点とした「三尾氏」でした。この地に「鴨稲荷山古墳」があり、古墳からの出土品、特に素晴らしい冠や飾履などの復元品を資料館で見る事ができます。

鴨稲荷山古墳

鴨稲荷山古墳

写真:松縄 正彦

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継体天皇の父、彦主人王(ひこうしのおほきみ)は“三尾の別業(なりどころ)にいた時に越前から妻を迎えます。そして生まれたのが、その後「継体天皇」となるホド王でした。

継体天皇には7名、あるいは9名の后妃がいました。正式の皇后「手白香皇女」の他には近江の息長・坂田氏から1名ずつ計2名、尾張氏から1名、中央豪族の和邇(ワニ)氏から1名が入内していますが、三尾氏からは2人も入内しており影響力の高さが際立っています。父の代から一族を支えたことが影響しているのでしょう。

この三尾氏の首長の墓と思われる鴨稲荷山古墳(6世紀前半に築造)は約45mの前方後円墳であり、中からは金銅製の冠や飾りのついた履、金製の耳飾など大王クラスの副葬品が出土しています。古墳自体は、現在そのほとんどを消失していますが、石室から写真の凝灰岩製の家形石棺が出土しています。

この家形石棺は、屋根部分の4つの突起に縄を括り付け、突起部分を下にした状態で、船で運ばれたと推定されています。大変な作業でここまで運んだのですね。

金銅製冠(復元品)〜継体天皇の威信財

金銅製冠(復元品)〜継体天皇の威信財

写真:松縄 正彦

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鴨稲荷山古墳のすぐそばに「高島歴史民俗資料館」があります。この資料館で古墳から出土した数々の品を見る事ができます。代表例を紹介しますと、まず金銅製冠(金銅とは銅に金メッキを施した物/写真)があります。

雄略天皇にはじまり、功のあった豪族に“威信財”として与えられた1つが冠です。写真の冠は“広帯二山式冠”と呼ばれています。九州の江田船山古墳、奈良の藤の木古墳からもこのタイプの冠が出土していますが、出土分布の中心はここ琵琶湖から淀川流域です。

また、継体天皇は身内や側近、また秦氏を中心とした渡来人など、幅広くこの冠を与えたようで、雄略天皇の時代に比べこのタイプの冠をもつ首長の数が急増したといわれています。ちなみに威信財とは権威や権力を象徴する物であり、ちよっとニュアンスが違うかもしれませんが、現在の高位の“勲章”授与に相当すると思えば良いでしょう。

継体天皇の威信財としては他に「捩じり環頭太刀」や馬のお尻の上につける馬具「三葉文楕円形杏葉(さんようもんだえんけいぎょうよう)」などが知られています。

金銅製飾履(復元品)

金銅製飾履(復元品)

写真:松縄 正彦

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次にご紹介するのは、何も説明する必要がないほど美しい履です(写真)。見事!というほかありません。すばらしいですね・・・。しかし、これでは物理的にも心情的にも足に履いて歩く訳にはいきません。よく見ると、履の裏側にお魚がいます。

ところで、履といえば前記“藤の木古墳”からも見事な履が出土しており、橿原考古学研究所付属博物館の入口に復元品が展示されています。しかし冠とともに、こんなに”近く”で見る事ができたのはここが初めてです。ちなみに藤の木古墳は6世紀後半といわれていますので、鴨稲荷山古墳の方が古い古墳です。

なお金銅製冠とこの金銅製飾履の2つは琵琶湖の反対側、安土城跡の近くに設けられた、「安土城考古博物館」にても展示されています。但し、ここの歴史民俗資料館の復元品とは若干違いがあるようです(特に冠)。

この古墳からは他に杏葉、雲珠(うず)といった馬具がでています。ちなみに、馬は5世紀に日本に導入されましたが、当時は特権階級の人しか乗れませんでした。馬具は権威の象徴として入れられていたようです。

小さくてもピリリと辛い、大人の「知的スポット」

発掘された古代の出土品を見る時、どこで出土したか、その地形や地理的条件なども見ながら見てゆくと当時の状況が良くわかります。ここ高島市は、若狭湾などの日本海側との交通ルートで、有名な「鯖街道」も近くを通っていますが、古代には若狭を通じて九州までつながっていました。まさに国際的な土地柄で、渡来人も多く居住していたのです。

また中央豪族の和邇氏にとってもこの地は重要な地で、和邇氏系氏族は山背(山城)東北部から琵琶湖西岸、また若狭へと通ずる地に住んでいました。継体天皇の主な后妃の出身豪族がこの地なのも偶然ではありません。

当時の政治を担った継体天皇、それを支持した豪族達の息吹がこの古墳からの出土品から熱く伝わってきます。古墳、資料館ともに他と比べれば規模も小さく、一見すると期待外れに思えますが、じっくりと見てゆくと見応えがあります。

また大規模な博物館では展示品が陳列されているだけですが、この高島歴史民俗資料館は小さいだけに、担当の方と気軽に古代歴史についてお話しする事も可能です。私も話し込んでしまい、あわてて切り上げて帰るはめになってしまいました。まさに小粒でもピりりと辛い資料館で、古代の歴史好きな人にお勧めの「知的スポット」です。

高島歴史民俗資料館は入館無料です。但し、金銅製の冠や飾履は、展示のため他の機関に貸し出される事があります。事前に確認の上お出かけください(2015年10月〜12月は既に貸出しが予定されています。御注意ください)。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/14 訪問

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