写真:乾口 達司
地図を見る池上曽根遺跡は大阪府和泉市の池上町から泉大津市曽根町あたりにかけて広がる弥生時代の大規模遺跡。中心部分には大きな環濠がはりめぐらされていました。その広さは環濠部分を中心にして南北1.5キロメートル、東西0.6キロメートル、60万平方メートルおよぶ広大なもの。1976年には国の史跡に指定されています。写真はその規模を示した案内板。上流から流れてくる河川を利用して集落を作っていたことが、この案内板からもよくわかりますね。
写真:乾口 達司
地図を見るなかでも、1995年に発見された大型建物は国内最大級の規模を誇るものであり、池上曽根遺跡が各地に点在する弥生時代の集落遺跡とは一線を画した大規模集落であったことを指し示しています。現在、発見された大型建物は「いずみの高殿」という名のもと、発見された場所に復元されています。
写真がその「いずみの高殿」。東西19.2メートル、南北6.9メートル、高さ11メートル、床までの高さ4メートルで床の面積は135平方メートル。畳に換算すると、80畳分にもおよぶ巨大さです。実際に「いずみの高殿」の前に立つと、写真で見るよりはるかに大きいことが実感できるはず。ぜひ、その大きさをご自身で感じてみてください。
写真:乾口 達司
地図を見る嬉しいことに、この「いずみの高殿」、内部に立ち入ることができるのです。写真はその内部を撮影した一枚ですが、むき出しになった部材からは「いずみの高殿」がどのように部材を組み合わせて作られているかがよくわかります。このなかで、当時の弥生人たちはどのようなことを思っていたのでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る遺跡の中心部は祭祀をとりおこなう「まつりの場」と生産をになう工房跡が複数見つかった「生産の場」に大別されていました。「いずみの高殿」が位置するのは祭祀の区画。その周辺には、実際、祭祀とかかわる施設が幾つか残されています。
写真はサヌカイトを埋納した施設。サヌカイトの正式名称は讃岐岩(さぬきがん)。香川県坂出市や奈良県の二上山周辺で採取される硬質の岩石で、古代には石器の材料として使われていました。いいかえれば、サヌカイトは古代人の生活に欠かせないものであり、祭祀の場でまつられていたこともうなずけます。
写真:乾口 達司
地図を見る池上曽根遺跡の中心部は、現在、遺跡公園として活用されています。その南方に位置しているのが、大阪府立弥生文化博物館。弥生文化博物館は弥生時代をテーマにした博物館で、館内には池上曽根遺跡から出土した埋蔵文化財も多数収蔵・展示されています。池上・曽根遺跡を訪れる際は、事前に弥生文化博物館で予備知識を仕入れておくことをお勧めします。なかでも、館内でぜひご覧いただきたいのが、ご覧の出土品。これは「いずみの高殿」の南側にから出土した井戸の木枠。出土した弥生時代の井戸としては日本最大であり、ここからも池上曽根遺跡の規模やその特異性が伝わってくるはず。その大きさに圧倒されてください。
池上曽根遺跡の魅力の一端がおわかりいただけたでしょうか。ほかにも、公園化された敷地内には竪穴式住居なども復元されている上、和泉市側には池上曽根弥生情報館、泉大津市側には池上曽根弥生学習館といった学習館も設けられており、池上曽根遺跡の世界を学ぶのに一役買っています。当地を訪れ、弥生時代の大集落の世界をご堪能ください。
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(2024/12/14更新)
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