秘蔵の肖像画にも出会える!滋賀・近江〜織田信長を訪ねる旅〜

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秘蔵の肖像画にも出会える!滋賀・近江〜織田信長を訪ねる旅〜

秘蔵の肖像画にも出会える!滋賀・近江〜織田信長を訪ねる旅〜

更新日:2015/09/09 13:01

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

美濃平定後、織田信長は天下統一へと滋賀・近江から歩み始めます。上洛時に六角氏を、姉川の戦いで浅井・朝倉軍を破り、以後、次々に敵を破りながら最後に作り上げたのが近江八幡(滋賀県)の安土城でした。そのためこのエリアには、信長にまつわるスポットがあります。さぁ、信長を訪ねる旅に出かけましょう。信長公の秘蔵の肖像画にも出会えます。

安土城築城までの道

安土城築城までの道

写真:松縄 正彦

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美濃を攻略(1567年)した翌年、織田信長は上洛します。しかしこれは2回目の上洛計画で、最初の上洛計画は六角氏の裏切りにあってつぶされていました。このため今回は、4万の大軍で六角氏などの反対勢力をなぎ倒しながら京を目指しました。

上洛後、朝倉攻めに失敗するなど四面楚歌の中、戦われたのが、有名な“姉川の戦い”(1570年)です。この戦いに勝利し、以後、朝倉・浅井(小谷城)・・と1つ1つ滅ぼし天下統一への道を歩んでゆきます。

この姉川の古戦場(写真)、案内看板がないとなかなか気が付きません。写真右手に浅井・朝倉軍が、川(写真奥の土手裏)をはさみ信長・家康軍が対峙していました(メモ欄を参照。写真はメモ欄の浅井軍の左手から、織田軍方向を見ています)。

戦国では珍しく平地での戦いだったためでしょうか激戦だったといわれます。写真の場所(野村町)では浅井軍の犠牲で、約1〜2m幅程度の血の川が流れたとされ、血川や血原などの地名が残りました。

そして次の段階への準備でしょうか?1575年、信長は家督を長男の信忠に譲り、翌年安土城の築城を開始しました。

安土城とは

安土城は六角氏の居城、大規模な山城であった観音寺城北側の安土山に築かれました。1577年、信長はこの安土城に早くも移ります。

この安土城、単独の城ではありません。北に秀吉の長浜城、南には光秀の坂本城、また琵琶湖を挟んだ対岸に一族の織田信澄を城主とする大溝城を配置し、4つの城でネットワークを組み琵琶湖周辺を抑えていたのです。非常に戦略的な配置をしていた事が分かります。

またこの場所は尾張・美濃とも連携し、国内の主要地域へと通ずる交通の要地に位置しています。城のネットワークを全国支配の鍵の1つと考えていたのかもしれません。

このように全国を見据えた安土城ですが、その象徴が本丸にあった天主です。“本能寺の変”後、焼けてしまい、現在は石垣、礎石が残るだけですが(写真)、5重7層の天主がピカピカに光っていたといわれます。

安土城とは

写真:松縄 正彦

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「信長の館」で見る絢爛豪華な天主、また写真のような信長公の肖像

「信長の館」で見る絢爛豪華な天主、また写真のような信長公の肖像

提供元:信長の館

http://www.zc.ztv.ne.jp/bungei/nobu/地図を見る

この天主を城跡近くの「信長の館」(写真)で見る事ができます。7層の天主のうち、ここでは最上階の6層(5階)、7層(6階)部分が原寸で復元されているのです。

館の入口を入ると、すぐに天主が眼に飛び込んできます。メモ欄の信長の館のホームページを参照してください。実物は写真よりも迫力があります。

5階部分は八角形で、襖に狩野永徳が描いたといわれる金碧障壁画が再現されていますが、非常に豪華で、一寸圧倒されます。6階は正方形です。黒漆と金箔で縁取られた中に、老子や孔子などが描かれています。5階は朱で赤色なのに対し6階は基調色が黒で、この色彩感覚は抜群です。

さてこの天主、一体何のために造られたのでしょう?信長の事です、単に城のシンボルタワーであったとは思われません。
6階部分から下に降りると、直ぐわきに写真があります。なんとこれが信長公の御顔。まるで写真のように見えますが、微細に描かれたものです。

信長公というと癇癪もちとされ、どちらかといえば“繊細”な顔が知られていますが、この肖像画、眼も大きく、“肚が据わり、威厳がある”眼差しをしています。同じ人物でも年齢や状況により表情は違ってくるものですが、この肖像の方が、天下人である信長らしい気がします。

これは信長の死後まもなく、次男の織田信雄がイエズズ会の宣教師に依頼して描いてもらい、信雄の子孫である織田宗家(天童藩)に代々秘蔵されて来たものです。

みなさんも見比べてみてください。今までの信長のイメージが変わります。

戦国の城(安土城・小谷城・・)や遺品・発掘品を見よう

戦国の城(安土城・小谷城・・)や遺品・発掘品を見よう

写真:松縄 正彦

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安土城跡、天主、信長の顔とご紹介してきましたが、最後に、信長の館の裏手にある「安土城考古博物館」(写真)に行ってみましょう(信長の館から歩いてすぐの場所にあります)。安土城の復元図・模型、安土城跡からの出土品、例えば金箔の瓦やシャチホコなどがみられます。

また、信長が着用していた陣羽織も展示されています。色が褪せたのかもしれませんが、ビロードに金の刺繍がされた羽織で意外に地味です。信長というと派手なイメージが先にたちますが、肖像画といい、通説とは少し違う人物だったのかもしれません。

他に、小谷城や観音寺城に関する展示もあります。地形を利用した山城であった事が良く分かるのですが、攻めるにはなかなか手ごわそうです。信長が、どう攻めたのか考えるのも面白いでしょう。

まとめ、走り抜けた織田信長

強豪ひしめく戦国時代に突如出現し、敵を次々に破った信長。家督を譲り、これから仕上げという時に本能寺で突然散ってしまいました。最後の根城、安土城の天主で何を考えていたのでしょうか?

最後の言葉「是非にあらず」、これには信長の色々な思いが反映されているのかもしれません。

信長を訪ねる旅、如何でしょうか?信長の館や安土城考古博物館を見るだけでも面白いのですが、体力に自信のある方は安土城跡にも登ってみて下さい。信長になった気持ちを味わえるかもしれません。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/13 訪問

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