写真:乾口 達司
地図を見る大師堂とも呼ばれる国宝の「御影堂」は、食堂の西方、「西院(さいいん)」と呼ばれる境内北西の一角に位置しています。東寺を創建した弘法大師・空海がここに暮らし、東寺建造の指揮をとったといわれています。仏堂でありながら、どこかしら住居風の建物であるといった印象を受けるのは、そのためです。
現在の建物は、1379年(康暦1)、火災によって焼失した後に再建されたもの。興味深いのは、中央の主体部を中心にして、北側に前堂、南側に後堂などが段階的に建て増しされていること。そのため、ご覧のように、複雑な構造となっています。
写真:乾口 達司
地図を見る御影堂には2体の国宝の仏像が安置されています。写真の前堂に安置されているのは、弘法大師坐像。東寺の僧・杲宝によって南北朝時代にまとめられた「東宝記」によると、1233年(天福1)、運慶の子息・康勝によって制作されたもので、弘法大師の命日である毎月21日と毎朝6時からとりおこなわれる「生身供(しょうじんく)」のときに御開帳されます。
「生身供」とは、空海に朝食をささげるという行事。誰でも参加できるので、早朝から御影堂を訪れてみるのも、京都観光の良い思い出となることでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る南向きの後堂に安置されているのは、空海の念持仏とされる国宝・不動明王坐像。講堂に安置された国宝・不動明王坐像ともども、平安時代前期に制作されたと考えられる我が国最古級の不動明王像です。
「東宝記」には、1153年(仁平3)、不動明王坐像の光背を修理したところ、当時、東寺長者であった寛信が急逝したという記載があり、古来、霊威はなはだしいお不動さまと見なされてきました。そのため、前堂の弘法大師坐像が定期的に御開帳されているのに対して、不動明王坐像はこれまでほとんど開扉されたことのない厳重秘仏としてあり続けています。
写真:乾口 達司
地図を見る御影堂で見逃せないのが、後堂と向き合うように立っているこちらの「尊勝陀羅尼の碑(そんしょうだらにのひ)」。もとは、1853年(嘉永6)、天台宗比叡山の僧・願海により、上京区・北野天満宮宗像社のそばに建てられた石碑ですが、明治初期の神仏分離令により、現在の地に移されました。
石碑の周囲をまわりながら、「万病ぬぐい」と呼ばれる白布で亀によく似た「贔屓」の頭や手足を撫で、その後で自分自身がわずらっている部位を撫でると万病に効くといわれており、現在では東寺きってのパワースポットと目されています。
写真:乾口 達司
地図を見る石碑のそばには「万病ぬぐい」の布の奉納所もあります。万病ぬぐいの布は御影堂や毘沙門堂で求めることができます。
尊勝陀羅尼の碑の隣りには同じく万病に効くとされる「天降石」も据えられているため、あわせて見学しましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る東寺を代表する国宝の建造物といえば、誰もが五重塔を思い浮かべるでしょう。反対にもっとも知られていない国宝建造物といえば、この蓮華門を挙げないわけにはまいりません。
境内の西側に位置するこの蓮華門、一度、境内の外に出なければその存在が確認できないといった制約があるため、つい見落としてしまいがちです。しかし、東寺に残る6つの門のうち、国宝に指定されているのは、実はこの蓮華門だけなのです。
写真:乾口 達司
地図を見る現在の蓮華門は鎌倉時代に再建されたものですが、ぜひ注目していただきたいのは、側面に見られるご覧の妻飾り。軒から垂れ下がるように取り付けられているのは「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる装飾です。
懸魚は古建築ではしばしば見かける装飾ですが、ほかの神社仏閣のものは「魚」には見えないのに対して、蓮華門の懸魚は、文字通り、「魚」をイメージさせるため、懸魚のなかでも古式にのっとっていることがわかります。
ほかにも、蛙の足のように見えることから名づけられている「蟇股(かえるまた)」にも古式が見られ、日本建築の変遷を知るのに貴重な門です。
写真:乾口 達司
地図を見る「食堂(じきどう)」は、その名のとおり、古来、僧侶が斎時に集って食事をしたお堂です。南北朝時代、足利幕府の創設者である足利尊氏が東寺に在陣していた折は、この食堂に居住していたこともありました。
現在の建物は1930年(昭和5)に焼失後、再建されたもので、堂内にはそのときに焼けてしまった四天王立像が残されています。その圧巻の姿、ぜひご覧ください。
写真:乾口 達司
地図を見る食堂に限らず、1000年以上の長い歴史を有する東寺では、さまざまな要因で失われてしまった建造物が数多く存在します。
境内にはそういった建造物を支えていた礎石が各所で見られ、そこからも東寺のかつての規模を推しはかることができます。
写真:乾口 達司
地図を見るつい見落としてしまいがちなのは、食堂の南側にある一対のお堂。「夜叉神堂」です。内部には近年まで夜叉神像と呼ばれる神像が安置されていました。
一対の夜叉神像は、当初、南大門にまつられていましたが、礼拝せずに門をくぐるものに対しては祟りが起こしたため、現在の地に安置されることになったとのこと。東寺きっての奇神像です。
写真:乾口 達司
地図を見るそんな夜叉神像が安置されているのは、こちらの宝物館。奇神の名にふさわしく、その容貌は実におどろおどろしく、必見です。
誰もがよく知る東寺。しかし、そんな東寺にこのような隠れスポットがあったこと、おわかりいただけたでしょうか。今回、紹介しきれなかったところもふくめ、ご自身の足で東寺の隠れスポットを探索してみてください。
住所:京都市南区九条町1番地
電話番号:075-691-3325
拝観料:
金堂・講堂・宝物館は有料
御影堂・蓮華門・食堂・夜叉神堂は無料
アクセス:JR京都駅より徒歩約10分
2023年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索