熊本「雲巌禅寺」は宮本武蔵が五輪書を著した寺院!

熊本「雲巌禅寺」は宮本武蔵が五輪書を著した寺院!

更新日:2017/11/08 18:47

井上雄彦の漫画『バガボンド』は吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作として人気を博しています。宮本武蔵の著述は五つの巻から成る兵法書『五輪書』。
岩戸の里公園には「勝ち運を呼ぶ武蔵像」もあり、勝負事のパワースポットとしても有名です。『バガボンド』『宮本武蔵』の愛読者や勝負事・目標に向かって挑戦している人にオススメの宮本武蔵が『五輪書』を著した場所、熊本「雲巌禅寺」を御紹介致します。

熊本「雲巌禅寺」と剣聖・宮本武蔵

熊本「雲巌禅寺」と剣聖・宮本武蔵
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熊本県熊本市西区松尾町平山、金峰山の西麓にある雲巌禅寺。南北朝時代(1336年〜1392年)に日本に渡来した元の禅僧・東陵永璵(とうりょうえいよ)により建立された曹洞宗の寺院で、九州西国三十三観音第14霊場でもあります。本尊は、雲巌洞にある石体四面の観音(秘仏)で岩戸観音として広く知られています。

宮本武蔵(1584年〜1645年)は、現在の岡山県に生まれ、全国各地で武者修行をし、様々な勝負を繰り広げ、後に肥後の藩主・細川忠利に招かれ細川藩の軍事顧問として肥後千葉城に居住。晩年の5年間を熊本で過ごしました。1643年、60歳の時「雲巌禅寺」にある霊巖洞に籠もり『五輪書』をまとめ上げたのです。

霊巌洞までには多種多様な表情の五百羅漢

霊巌洞までには多種多様な表情の五百羅漢
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霊巌洞までの岩山を削ってできた細道には、石仏の五百羅漢。
熊本の商人、渕田屋儀平の願いにより1779年〜1802年の24年間に亘って奉納されました。天災や風化、明治の廃仏毀釈により現在では、完全なものは約半数となっています。

釈迦の教えを聞いて修行の最高段階に達した人を羅漢と言い、信仰の対象ともなります。様々な顔形の姿をしているので、自分や身内にそっくりな羅漢に出会えることが出来るとの言い伝えも残っています。身近な人の顔を思い浮かべながら、拝見してみて下さい。

兵法書『五輪書』と霊巌洞

兵法書『五輪書』と霊巌洞
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兵庫・播州平福で神刀流の有馬喜兵衛と。京都・一乗寺下り松では吉岡一門と。山口・巌流島(船島)で、佐々木小次郎と。
各地で数々の戦いに勝ち続けてきた宮本武蔵。今までの決闘や自己を振り返り、まとめ上げたのが『五輪書』です。

藩主、細川忠利に献上した『兵法三十五箇条』を基として、『五輪書』を霊巌洞で書き始めました。仏教で万物は地・水・火・風・空から成ることから五つの巻に分けられています。霊巌洞への階段の側には、宮本武蔵の流派「二天一流」の由来の石碑も建立されているので、一読してから進むと実感の度合いが、さらに深まります。

「宮本武蔵所修練碑」と「勝ち運を呼ぶ武蔵像」

「宮本武蔵所修練碑」と「勝ち運を呼ぶ武蔵像」
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記念碑は、武蔵野没後300年にあたる1944年(昭和19年)に建立されたもので、正面の題字は肥後熊本藩主を務めた細川家の第16代当主である細川護立の書。下段には「五輪書」の序の一節が刻まれています。
また近くには2003年(平成15年)NHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の放映記念及びテレビ放送開始50周年記念として建立された「勝ち運を呼ぶ武蔵像」も。
勇ましい気分になり、エネルギーが湧いてくるように感じられます。こちらに参詣して自らのチャレンジする目標を宣言するのも良いでしょう。

熊本市西区「雲巌禅寺」のまとめ

拝観入口には、宮本武蔵や平安時代の歌人、桧垣に縁の品々も展示されています。また岩戸の里公園には、黒岩展望台もあり、有明海、雲仙普賢岳を見渡せます。
熊本市内のバスセンターから一時間弱で、最寄りのバス停「岩戸観音入口」に到着します。1日乗車券等を活用してみるのも一つの方法です。記事下部のメモにあるリンクより公式サイトにて詳細を御確認下さい。

「神仏は尊し、されど頼まず」といった宮本武蔵の気概を手本にして、熊本「雲巌禅寺」を訪れて、目標に向かって気持ちを高めて下さい。以上、漫画『バガボンド』、小説『宮本武蔵』のファンを満足させるだけでなく、全てのチャレンジャーの背中を強く押してくれる熊本「雲巌禅寺」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/03 訪問

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