水戸光圀公も賛美した、かつての海上交通の要所。金沢八景

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水戸光圀公も賛美した、かつての海上交通の要所。金沢八景

水戸光圀公も賛美した、かつての海上交通の要所。金沢八景

更新日:2015/09/02 16:56

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

歌川広重 の『金沢八景』に代表されるように、鎌倉時代からその風景の美しさは人々に周知されていました。その名が全国に知れ渡ったのは、水戸藩主徳川光圀が招いた明の禅僧、東皐心越がこの地の詩を詠んでからです。故郷の瀟湘八景になぞらえた漢詩が観光地としての知名度を一気に引き上げ、その後多くの浮世絵師が名所絵として描きました。鎌倉市と隣接しているため、横浜に居ながら鎌倉の文化に触れることができる街です。

海中に奉られた社。立身出世を祈願するなら此処!琵琶島神社

海中に奉られた社。立身出世を祈願するなら此処!琵琶島神社

写真:Isao Noguchi

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平潟湾に突き出した小さな神社。江戸時代には御神体が立像だった事や、琵琶湖の竹生島弁財天を勧請した源頼朝の妻・政子の出世にあやかって「立身出世の神様」として信仰を集めました。

境内の入口には、この石の前で物を拾うと福を授かるといわれる福石があります。また、「金沢七福神」の一つであり、弁財天を祀っていることから、室町時代には「船寄弁財天」とも呼ばれていました。

毎年、5月15日には祭礼が行われます。瀬戸神社例大祭に引き続いて、神輿を琵琶島に渡し、社前で神楽が奏されます。この神社周辺は心越禅師が八景を吟じる以前から、浦波島山の眺望が愛され、鎌倉幕府の武将や町民の慰安の場所として有名でした。

茅葺屋根の鐘楼は、葺き替えるだけで数千万円!?龍華寺

茅葺屋根の鐘楼は、葺き替えるだけで数千万円!?龍華寺

写真:Isao Noguchi

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源頼朝と文覚によって六浦山中に建立された浄願寺が龍華寺のはじまりとされています。浄願寺は1499年に焼失してしまいますが、本尊弥勒菩薩の夢告によって再興されたといわれています。

茅葺屋根の鐘楼は藁葺と比較すると維持費が高いだけでなく、文化的価値も非常に高いといわれています。一般的な家屋一棟分の屋根を葺き替えるだけで、現在の価格にすると約4000万円かかるそうです。そう考えると、県の重要文化財に指定されているのも納得がいきます。

称名寺赤門前の薬王寺は龍華寺の末寺。1189年源頼朝と文覚上人が建立し、1492年から1501年の期間に現在地に移築されたとされます。

樹齢720年とも伝えられるカヤの古木は区内最古!瀬戸神社

樹齢720年とも伝えられるカヤの古木は区内最古!瀬戸神社

写真:Isao Noguchi

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かつてこの辺りは入り江で、海水が渦を巻く狭い海峡でした。古代から神が祀られていた聖地として、平潟湾につながる水路は罪や災いを流し、日々の心身を清める場所であったといいます。

1180年、源頼朝が挙兵する際、伊豆の三嶋大社へ戦勝祈願したことから、その加護にあやかり分霊をこの瀬戸の聖地に迎えました。このことから「瀬戸三島大明神」と呼ばれるようになり、足利家や徳川家、関東の武家からも厚い信仰を集めました。向かいには江戸時代からの老舖料亭「千代本」や琵琶島などもあり、景勝地「金沢八景」の中心地であったことが伺えます。

今は広い道路になっていますが、鎌倉時代の琵琶島までの広い神域を想像してみてください。当時は干拓や埋め立てられた土地はなく、全てが海でした。そこに佇む神殿はさぞ神々しい建造物だった事でしょう。その信仰は統治者が変わっても手厚く保護され、徳川家康からは100石の朱印地を与えられました。

受け継がれる祈りの心。再興され続けた社殿。洲崎神社

受け継がれる祈りの心。再興され続けた社殿。洲崎神社

写真:Isao Noguchi

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元来は長浜の地にありましたが、1311年の潮津波によって一村流滅し、住民の一部が鎮守大六天社を奉じてこの地に移住したことに始まります。 現在の本殿は1838年に再建され、明治維新によって洲崎神社と改称されました。

当初の移住民は中心に社を置いてその周囲を取り囲み、民戸を構える特異な村落形態をとり、後世まで「家津良(やづら)八戸」と呼ばれました。そして、1903年の横浜金沢間の国道改修により翌年の1904年、現在の地に遷座しました。

歴史を感じさせるエピソードとして、「長浜千軒」といわれるほど海に十八町も突き出た町が丸ごと消滅し、住民とともに鎮守の第六天社が洲崎に移されたこと。集落がなくなっても生活の一部として、神々への畏怖と畏敬の念がそこにあったことは察するに余りあるところです。

一般道路の分岐点に鎮座する謎?の神社。金沢八幡神社

一般道路の分岐点に鎮座する謎?の神社。金沢八幡神社

写真:Isao Noguchi

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寺前、町屋、洲崎の鎮守として、地元では代々「八幡宮」の名で親しまれていました。小さな神社ですが、1570年の造営にあたっては一帯の庶民まで棟札に名を連ねています。この地域の信仰を一身に集めていたことを伺わせる資料です。

建立時期は神社の記録が残っていないことから、正確な時系列は分かりかねますが、金沢文庫に残されている古文書によると、「称名寺の造営時には八幡の河岸が陸揚げに利用された」という記録から、鎌倉時代には存在していたようです。

当時は泥亀の開拓も行われていなかったので、金沢八幡神社のすぐ手前までは海だったと思われます。神社を参詣すると分かりますが、立地場所が道路の真ん中に建っており、明らかに不自然です。区画整理前に移築されたのでしょう。その経緯も歴史のおもしろいところです。

海原が広がっていた頃に想いを馳せて。

2015年、京浜急行「金沢八景駅」前は土地区画整理事業により、そのほとんどが更地となっています。以前は個人経営の中華料理屋やパン屋さんが店を構えていたのですが、商業ビルに移転するとのことです。

ただ、歴史を辿れば元々そこに土地はなく、東京湾の一部でした。金沢八景・六浦という地名が残っているぐらいですから、景観に富んだ美しい湾口だった事が伺い知れます。潮の香りが常に舞い、同じ横浜市内でもみなとみらい地区や本牧とは違う歴史の重みを感じさせます。

金沢区内に神社仏閣が至るところにあるのも、住民が眼下に広がる海がおだやかであるよう、常日頃から祈り、平穏な生活を願っていたからにほかありません。その文化財を今日に至るまで残してきた地域の努力と苦労は胸に伝わってくるものがあります。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/08/16 訪問

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