栄華の極み此処にあり。執権北条氏が夢見た極楽浄土の名刹

栄華の極み此処にあり。執権北条氏が夢見た極楽浄土の名刹

更新日:2015/08/25 12:10

横浜市金沢区にある称名寺。この地域はその昔、実質的「鎌倉」の範囲内でした。東境に位置する政治・流通の要所として重要な役割を果たし、鎌倉時代には北条氏が執権として権勢を振るったのです。その北条氏の菩提寺として発展し、伽藍や庭園が整備されたのがこのお寺。境内を散策すると、広大な敷地と県内でも稀にみる荘厳な建築に圧倒されます。質実剛健な風土の中に雅な文化が相まって、唯一無二の存在感を漂わせています。

太鼓橋と水面のコントラスト。本堂と浄土式庭園

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浄土式庭園は金堂(本堂)に向かって橋と池を配し、そこに蓮などを植えて極楽浄土を再現しようとしたもの。特に平安時代後期、末法思想とともに流行し、その最たるものが宇治の平等院鳳凰堂です。

称名寺の庭園は、北条貞顕の時代の1320年に造られました。作庭には性一法師が携わり、満々と水が注がれた苑池に貞顕から贈られた水鳥が放されるなどし、伽藍の美観の要とされる浄土庭園の完成に至ったのです。苑池は金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたもの。南の仁王門を入り、池を二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って金堂へ参詣するようになっています。

四方を緑に囲まれ、通称「赤橋」の向こうに見える本堂の佇まいはまさしく極楽浄土を想起させる造りで、当時の建築技術の高さと洗練された美意識を堪能することができます。

現存する最古の武家文庫、私設図書館の先駆け。金沢文庫

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称名寺の西、北条貞顕らの墓がある小さい尾根にトンネルが開いています。そこを潜って出ると、その先にあるのが現在の県立金沢文庫です。

金沢文庫は鎌倉時代、北条氏の蔵書を納める書庫として造られました。宋から持ち込まれた貴重な漢籍や仏典は、政争と戦闘が続く激動の時代を生き抜く知識を北条氏に与えたのです。そして、書籍とともに求めた青磁をはじめとする様々な宝物は、彼らの仏教への信仰を支えました。

豊かな文物を備えた金沢文庫は、しばしば東大寺の正倉院に喩えられます。鎌倉時代の在り様を今日に伝える貴重な文化財を後世に伝えるとともに、現在は中世の歴史を調査・研究する施設として重要な役割を担っています。また、住宅地の中に立地していることもあり、アクセスに関しては事前に調べておくことをお薦めします。

中世密教の面影と侘び寂の奥深さを堪能。光明院

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惣門、また赤く塗られていることから別称「赤門」とも呼ばれる門を潜ると、長い参道が延びています。この参道の途中に、ひっそりと横浜市内で一番古い木造建築文化財があります。称名寺の塔頭(寺院の敷地内にある高僧が隠退後に住した庵)の光明院の表門です。

表門は、和様を基調に禅宗様を加味した意匠で、1665年に造営され、切妻造茅葺の屋根を持つ四脚門。称名寺の塔頭光明院は、江戸時代には五つの塔頭の第一位だったそうです。光明院の「大威徳明王像」は、源実朝の養育係だったという大弐局の発願で、運慶が造立したものであることが判明しています。

数々の伝説が残る悲運の武将を奉る寺院。薬王寺

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本尊は、源範頼の念持仏で行基作の薬師如来。「武蔵風土記」や「江戸名所図会」によれば、古くは大日如来だったようです。もとは源範頼の別邸があった場所だといわれ、太寧寺とともに源範頼の位牌が伝えられています。

源範頼は伊豆の修禅寺で討たれ、その首を鎌倉に持ち帰り、太寧寺に葬られたとも言われています。寺の言い伝えによれば、源範頼の別邸だった太寧寺まで逃れて自害したとの説も。

源範頼公の位牌を奉り、毎年8月24日の命日には「三河忌」として追善供養を行っています。すぐ近くに称名寺があるため、見過ごしてしまいがちですが、庭園は手入れが行き届いており、秋には紅白の彼岸花が境内に色を添えます。

関東最大の「金剛力士像」は迫力満点!仁王門

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称名寺の現在の仁王門は1818年の創建。安置されている金剛力士像は、胎内墨書により、1323年に院興らの作であることが判明しています。そして、門の両側を守っているこの金剛力士像は関東における最大級のものして知られています。

ヒノキの寄木造の仁王像は阿形、吽形ともに像高4メートル弱。門を守る仁王像は等身よりも大きな像が多いですが、それでも4メートルもの像高を誇るものは珍しいと言えるでしょう。

金剛力士像といえば東大寺が有名ですが、それに劣らず、仁王の怒りの表情もどこか抑制が効いていて、像全体のバランスも良く、筋肉の隆起や腰のひねり具合など全てにおいて落ち着きがあります。禅思想を背景とした鎌倉時代の特徴が良く現れています。

京都・奈良を彷彿とさせる景観。鎌倉文化のもう一つの美しさ

称名寺の池の周囲には春は桜に始まり、晩秋のイチョウまで、季節の植物が目を楽しませてくれます。また、鴨や鯉の姿も多く、のんびり散策するのには絶好のスポットです。

鎌倉市内にはこのような上方の華やかさを取り入れた造りの寺院は、ほとんど見受けられません。禅寺が主流のなかで、これほどまでに建築物の大きさや景観美を意識したものが建立されたということは、いかに北条氏の権力基盤が磐石であったかを物語っています。

周囲は保全された緑地のなか、横浜市にあって鎌倉文化を感じさせてくれる場所であり、今も市民の憩いの場として親しまれています。隣接する県立金沢文庫は今も数々の国宝や重要文化財を擁し、「東の正倉院」と呼ばれるほど歴史的に貴重であり、このような史跡が日常の風景に溶け込んでいるというのがまた趣きのある所です。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/08/16 訪問

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