写真:万葉 りえ
地図を見るJR京都駅の西側で八条通と交差する大宮通。その大宮通を少し南へ進むと、弘法大師空海が造った「東寺」の慶賀門が見えてきます。
奈良(平城京)から京都(平安京)へと都が移された当時、この辺りは都のはずれ。都の入り口として羅城門が築かれ、その門の近くに都を守るために置かれたのが官寺としての西寺と東寺でした。
境内へと入っていけば、そこには、駅が近いことも街中にあることも忘れてしまう空間が広がっています。京都にはたくさんの寺院がありますが、その中で一番平安京の面影を色濃く残しているのが東寺だといわれています。
では、ハスの池越しに宝蔵を見ながら拝観受付へと進んでいきましょう。
写真:万葉 りえ
地図を見る平安遷都から30年が経っていても、この地はかなり寂れた状態でした。そこで嵯峨天皇から空海へ「平安京に寺を造らないか」という打診があります。その返答として空海が出したのが、「真言密教の根本道場として、他宗は受け入れられない」という条件でした。なぜなら、奈良時代の仏教界では、いくつもの宗を学ぶのが習わしだったのです。
私費留学僧として唐に渡り、空海が中国で学んだ密教は当時の“最新仏教”。しかも、師の恵果から正統な後継者として認められるほど優秀でした。
すでに高野山に真言密教のための壮大な伽藍を作り出していた空海。下賜された後、東寺にも密教形式の伽藍や仏像を造りだし、再創建していきます。
現在の東寺には、小さなものまで含めると100余の堂塔伽藍があるといいます。その中で中心的な伽藍がある区域は、ご覧のように緑豊かな庭の向こうに国宝の五重塔がのぞめます。
この写真の右端に見えるのが、樹齢120年以上という「不二桜」です。春、五重塔を背景に、桃色の枝を差し出して立つ一本桜の姿。それは桜の季節に京都に行かれる方にぜひ見てほしい風景です。
では、その桜から近い場所に建つ講堂へ行ってみましょう。
密教はインドで発達した教えで、崇拝するのは大日如来です。宇宙や自然、太陽にもたとえられていて、慈悲と知恵の光で照らすといわれています。空海は「真言密教を口で伝えることはできない」と述べており、それを伝える方法としていたのが仏教絵画「曼荼羅(まんだら)」でした。
白壁に朱の柱が美しい講堂には、その大日如来を中心に国宝も含め21体の尊像が配置されています。
それは空海が密教の教えである曼荼羅を、「絵画」という平面から「立体」に置き換えた世界。今の表現なら、3Dにして弘法大師空海の教えを表している、といったところでしょうか。
講堂ではたくさんいらっしゃる諸尊の放つパワーに圧倒されるかもしれません。しかしその奥に建つ金堂は趣が異なります。
こちらの中心は薬師如来で、わきに日光・月光菩薩が立つという三尊のみ。三尊ともそれぞれに大きな像ですが、威圧感ではなく入ってきた人々をあたたかく見守ってくださる空気に満ちています。
薬師如来は、庶民の病苦を癒し、災いを消し、守ってくれると信仰されてきた仏です。そして、薬師如来の教えを助ける使命をもつ日光・月光菩薩。
晴れた日でも少し薄暗い堂内。心の平安も与えてくださるという三尊に、それぞれが好きなだけ対話し帰っていく…金堂では、そんな時間が流れていきます。
空海が伝えようとした真言密教の世界である東寺が完成したのは、空海の死後50年が経ってからのことだったといいます。
平安京ができた時に先に建っていた西寺は、今は礎石が残り碑が立つだけになってしまいました。そして東寺も火災や一揆の被害を受け、貧窮の時代を経てきています。それでも東寺が現代へと守られてきたのには、弘法大師に対する庶民の心も力の一つになったはずです。
恋みくじや開運みくじなど様々なおみくじもあり、親しみがわく売店前。
また、毎月21日の「弘法市」には、境内にはたくさんの露店がたち多くの人が訪れます。官寺だった平安時代には庶民が東寺に入れなかったなんてうそのような賑わいです。
そのように人々に寄り添いながらも、東寺は平安時代から守ってきた幾つもの国宝や重要文化財になっている仏像を有しています。そして、何度も被害を受けながらも、建物の配置や規模がほぼ創建当時のままという大変稀有な寺です。
ご覧いただいたハスだけでなく、桜やツツジ、藤など、庭園を巡れば季節の美も待つ東寺。
空海が人々に伝えようとした世界を、ここで、1200年前の時を超えてめぐってみませんか。
住所:京都府京都市南区九条町1
アクセス:JR京都駅より徒歩17分 近鉄東寺駅より徒歩5分
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(2023/11/30更新)
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