通りゃんせ発祥!川越城本丸御殿と三芳野神社の「帰りはこわい」ワケ

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通りゃんせ発祥!川越城本丸御殿と三芳野神社の「帰りはこわい」ワケ

通りゃんせ発祥!川越城本丸御殿と三芳野神社の「帰りはこわい」ワケ

更新日:2015/10/08 14:21

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

童歌『通りゃんせ』と云えば誰でも一度は聞いたことがあるはず。
少しばかり意味不明な歌詞とマイナーなメロディで、様々な解釈がなされ、発祥地についても諸説ある謎めいた童歌です。
その発祥地の中でも最も有力と云われているのが埼玉県川越市。
蔵造りの街として名高い小江戸川越ですが、今回は、童歌『通りゃんせ』の歌詞の意味を解明する川越の歴史スポットをご紹介いたします。

通りゃんせ 通りゃんせ

通りゃんせ 通りゃんせ

写真:Naoyuki 金井

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通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細通じゃ 
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

文字どおりに解釈するなら、7つのお祝いが七五三の意味とは限りませんが、江戸時代は寿命も短く、まずは7才まで育てば目出度いという風潮はあったようで、子供の成長の御礼と祈願がテーマと云えるでしょう。こうした単なる神社への参拝であるのにも関わらず、何故「御用のないものは通れないのか」、何故「行きはよいよいで、帰りがこわいのか」と妙な歌詞に注目が集まったのです。

この謎めいた歌詞を巡り、現在まで疲労説や神隠説と云った都市伝説まで多様な解釈がなされているのですが、この謎を解き明かす鍵が、現在でも実存する川越城本丸御殿と三芳野神社の存在なのです。

天神さまの細道じゃ

天神さまの細道じゃ

写真:Naoyuki 金井

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参道口に在原業平の伊勢物語が刻まれた石碑がある神社が『三芳野神社』。
主祭神の素盞嗚尊と奇稲田姫が大宮の氷川神社から、配祀の菅原道真が北野天満宮から勧請されたのではないかと云われ、平安時代に創建されたと考えられています。

由緒が明確になるのが室町時代末期の頃からで、太田道灌が川越城を築城し三芳野神社を川越の鎮守としたところから始まり、江戸時代以降は、近くの喜多院・仙波東照宮と共に徳川幕府直営の社として庇護を受けました。
興味深いのが社殿で、1624年に拝殿と本殿が建立され、その約30年後の1656年に江戸城二の丸東照宮が移築された際、幣殿と拝殿を現在の川越氷川神社境内に、本殿をこの三芳野神社に移したのです。
そして1624年建立の拝殿と1656年の本殿とを、新たに造った幣殿でつないだ権現造りの社殿が現在のもので、謂わば、3つのDNAをもった珍しい社殿です。

現在、三芳野神社は川越市指定の史跡で、静かな佇まいの中で江戸時代の香りを残しています。

御用のないもの通しゃせぬ

御用のないもの通しゃせぬ

写真:Naoyuki 金井

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三芳野神社のすぐ近くにあるのが『川越城本丸御殿』。
川越城は、1457年太田道灌親子が築城した城で、扇谷上杉領の拠点として造られ、その後、後北条氏の城となりますが、秀吉の関東攻略に際して川越城は前田利家らに攻められ落城しました。

家康が江戸に入府すると、川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も堀田、松平、柳沢といった有力大名達が城主でした。
特に1639年の拡張整備では、本丸・ニノ丸などの各曲輪、3つの櫓、13の門からなる、総面積約99000坪余りの規模をもつ巨大な城郭となります。更に江戸末期には、二の丸御殿の焼失により本丸御殿が竣工し、当時の藩主松平家に相応しい威容をもつ御殿として造りあげられたのです。
明治になって城としての役割を終えると、本丸御殿を始めとして多くの建物が移築・解体されましたが、本丸御殿の玄関と広間部分は当時の入間県庁に利用されたことから、現在、川越城本丸御殿として復元され県指定有形文化財になっています。

御殿内の質素ながら重厚感ある佇まいに、往時の威容を感じられるかも知れません。

この子の七つのおいわいに

この子の七つのおいわいに

写真:Naoyuki 金井

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古くから庶民に親しまれた三芳野神社は、1639年の川越城拡張整備により川越城内に取り込まれ川越城の鎮守となります。当時の川越城天神曲輪に鎮座したことにより、これ以降、一般庶民の参拝はできなくなったのです。

当然、他の神社に参拝しに行けば済むことですが、当時の交通事情や鎮守への信仰心から庶民は「お城の天神様」と呼んで遠くから参拝していました。
その信仰心の篤い庶民の姿を見た当時の藩主は、年に一度の三芳野神社大祭と七五三のお祝い時のみ参拝を許しました。
天神様にお参りする順路は、南大手門から入城し、田郭門を抜け富士見櫓を左手に見て進み、天神門を潜って直進し、直角に左に曲がって三芳野神社に直進する参道を進んだと考えられており、これが“とうりゃんせ”に唄われた天神様の細道となのです。

一般庶民が、絶対に入れない城内に入るのですから、警備上の理由からも狭い参道にして警備の目を光らしていたのです。

行きはよいよい、帰りはこわい

行きはよいよい、帰りはこわい

写真:Naoyuki 金井

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江戸幕府が安定してた時代に、各藩のもっとも恐れているのは“密偵”などによる機密漏洩。場合によってはお家取り潰しなどという事態も招くのですから一大事で、そのような中で、一般庶民を入城させることは墓穴を掘るようなものです。

そこで警備はより厳重になります。当然入場の際のチェックはあったはずで、「御用のないものとうしゃせぬ」という歌詞にも表れている通り、それなりの厳しいチェックがされたものと推測されます。
それでも「行きはよいよい、帰りはこわい」と唄われているのは、入場の際は怪しい者だけを外見からチェックするだけですが、退場の際は機密書類等を持っていないか所持品のチェックをしたものと考えると、入場より退場の方がより厳しいことになります。
これが“帰りはこわい”と唄われた根拠と推測されているのです。

写真の社殿左側の店舗の後ろに復元された本丸御殿があり、往時の三芳野神社の参道は、現在とは若干変化しているのですが、天神様の細道を偲ぶには絶好の場所となっています。

最後に。。。

川越城本丸御殿と三芳野神社の関係で『通りゃんせ』の意味が、お分かりになりましたでしょうか。まさに、『通りゃんせ』は、小江戸川越の往時の政治と文化が垣間見られる童歌なのです。すぐ近くには『川越市立博物館』がありますので、更に詳しく小江戸川越を知るには絶好の観光スポットと云えるでしょう。

因みに、川越城本丸御殿の隣にある県立川越高校は、2001年の映画『ウォーターボーイズ』のモデルとなった高校で、現在でも学園祭には、大勢の観客が集まっており、こちらもプチ観光スポット。
更に2015年ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏の母校でもあり、プチ感動すること間違いありません。
童謡『通りゃんせ』の舞台、川越のちょっとディープな観光を楽しんでみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/22 訪問

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