静岡・浜松「橘逸勢神社」は三筆の一人・橘逸勢を祀る寺院

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静岡・浜松「橘逸勢神社」は三筆の一人・橘逸勢を祀る寺院

静岡・浜松「橘逸勢神社」は三筆の一人・橘逸勢を祀る寺院

更新日:2017/11/09 11:43

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

平安時代の代表的な書に優れた人物、弘法大師空海、嵯峨天皇、橘逸勢。三人合わせて「三筆」と呼ばれています。その中で、今回は橘逸勢(たちばなのはやなり)に関連する静岡県浜松市北区三ヶ日にある神社をご紹介。その名も「橘逸勢神社」です。
書にも学識にも優れた人物の生涯。そして、その娘の献身の物語が隠れています。歴史に埋もれてしまいそうな切ない父娘の軌跡を辿る旅に出てみましょう。

橘逸勢神社。けれど、橘逸勢って誰?

橘逸勢神社。けれど、橘逸勢って誰?

写真:KISHI Satoru

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橘逸勢(生年未詳〜842年)。こちらの名前をサラリと読めた方は、日本史、また書道に詳しい方だと思います。因みに「たちばなのはやなり」と読みます。
最澄や空海と共に遣唐使として唐に渡り、「橘秀才(きっしゅうさい)」と称された人物。あるいは「承和の変」で容疑者として流罪になってしまった人物。
能書(のうしょ)つまり書にも素晴らしい才能を持ち、空海や嵯峨天皇と一緒に三筆のひとりとして名を連ねています。

では、何故、唐や京の都で活躍していた人物の名を残した神社(写真)が静岡県浜松市北区三ヶ日にあるのでしょうか?

承和の変って何?承和の時代に起きた事件。つまりは陰謀です。

承和の変って何?承和の時代に起きた事件。つまりは陰謀です。

写真:KISHI Satoru

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唐の都・長安(現在の西安)の西明寺は、日本の留学者たちの滞在先となっていました。西明寺の瓦が西安で発見されたのを記念して建立されたのが「西安金字塔完成記念碑」。橘逸勢は唐においても学問に秀でていましたが、帰国後の官界での昇進は早くはありませんでした。そして、運命を狂わす出来事が……。

842年(承和9年)に起きた、第55代天皇の座を巡る権力闘争による事件。
元々、次の天皇となる予定であった皇太子、恒貞親王が身の危険を感じ、守ろうとした伴健岑(とものこわみね)とその友人である橘逸勢の動向。その情報を得た藤原良房が言葉巧みに立ち振る舞う――もつれ絡み合う地位、血筋、讒言、画策。

承和の変、その後。それぞれの行く末

承和の変、その後。それぞれの行く末

写真:KISHI Satoru

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謀反人として伴健岑と橘逸勢は捕らえられ、隠岐と伊豆へ流罪。さらに恒貞(つねさだ)親王は皇太子の地位を失い、代わりに藤原良房の甥である道康親王(後の文徳天皇:もんとくてんのう)が皇太子に。

伴氏、橘氏に打撃を与えただけでなく、同族ライバルの藤原愛発(ふじわらのちかなり)、藤原吉野をも失脚させる事に成功。承和の変の後に、藤原良房は皇族ではない最初の摂政・太政大臣となり、藤原氏繁栄の基礎を築いたのです。

写真は橘逸勢神社の祠。その直ぐ右手には、小さな墓石があります。橘逸勢の墓石です。伊豆への流罪の途中、この地で病に倒れ亡くなってしまったのです。

そして、ここに到るまでの間に、橘逸勢の娘が登場します。

伊豆への流罪。父・橘逸勢の後を追う娘・妙冲の孝

伊豆への流罪。父・橘逸勢の後を追う娘・妙冲の孝

写真:KISHI Satoru

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護送の役人に制止されながらも、父・橘逸勢の後を追いかける12歳の幼き娘。罪人とされてしまった父への悲哀と敬慕。遠江板築宿(とおとうみほんつきのうまや:現在の静岡県浜松市北区三ヶ日)に着くと、橘逸勢は病に倒れ、亡くなってしまいます。悲嘆に暮れる娘。出家して尼となり妙冲と号し、父をその地に葬って供養を続けたのです。九年に及ぶ読経と孝行が都に伝わり、帰京と帰葬の許し。853年には文徳天皇による名誉回復がなされました。

この物語は歴史書『日本文徳天皇実録』に記載があり、また『方丈記』の作者、鴨長明が編著した説話集『発心集』に「橘逸勢之女子配所にいたる事」としても取り上げられています。

左手前の石碑が、娘・妙冲の父親・橘逸勢に対する孝を讃え示した「旌孝碑」。奥の観音様が「妙冲観音像」です。その二つの間にあるが「筆塚」となっています。

伝・橘逸勢の書『伊都内親王願文』

伝・橘逸勢の書『伊都内親王願文』

写真:KISHI Satoru

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橘逸勢は二年間、唐に渡り文化の修学に努め、若くして能書と謳われました。『弘法大師書流系図』によると、唐の文学者・政治家である柳宗元に書法を受けたと記述が残っています。

こちらの石碑は『伊都内親王願文』で、桓武天皇の皇女・伊都内親王が山階寺(やましなでら:現在の奈良・興福寺) の東院西堂に香灯読経料を寄進した時、神仏に祈願の内容を伝えた文章である願文(がんもん)。橘逸勢の筆として伝わっています。
書は勿論の事、石碑も美しく壮麗です。書の達人の技術を間近で鑑賞することで、あなたの字も自然と更に上手くなる事でしょう。

静岡県浜松市「橘逸勢神社」のまとめ

橘逸勢の娘が出家して、妙冲と号して尼となりました。同様に恒貞親王も後に仏門に入り恒寂(こうじゃく)と号して、京都・大覚寺の住職である門跡となります。大覚寺は伯父・嵯峨天皇の旧御所でもあります。多くの人々が関連する物語が眠っている浜松「橘逸勢神社」。あなたの光りの当て方で、その物語も様々に変化します。

両親に思いを馳せる人、美文字を目指す人、歴史または書に興味のある人にオススメの場所です。近くには浜名湖があり自然や観光スポットも豊富なので、是非、足を伸ばして訪れてみて下さい。
以上、静岡県浜松市「橘逸勢神社」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/20 訪問

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