写真:Naoyuki 金井
地図を見るそもそも黄門様の鎌倉旅行は、歴史書《大日本史》編さんの中で鎌倉時代の資料が少ないことから鎌倉旅行を思い立ち、江戸に向かった際に足を延ばして訪れた、云わば現代的には調査団のようなものです。
当時の行程は、1674年5月2日海路にて金沢(現・六浦)に到着し、夕刻、水戸藩の建てた英勝寺に入り、5月8日帰路に付き、藤沢を経由して9日に江戸藩邸に戻る1週間ほどの旅行でした。
英勝寺で予め寺や土地の長老・古老を集めて説明を受けた上で、実際に鎌倉の名所・旧跡を調査したのですが、それをまとめた見聞録が《鎌倉日記》です。ただし調査団と云っても、もともと地理や歴史に明るいわけではないので、受けた説明がほぼそのまま綴られたので、調査と云うよりは散策に近いものだったようです。
新田義貞所縁の稲村ケ崎の絶景で、鎌倉時代に思いを馳せていたかもしれません。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る黄門様鎌倉滞在のなかで一番長い時間いたのが宿舎となった『英勝寺』。
徳川家康の側室で太田道灌の玄孫である“お勝の方”が、後の初代水戸藩主となる徳川頼房の養母を務めたことから、家康の死後英勝院と称し、三代将軍家光より道灌邸跡地をいただき創建したのが英勝寺です。
こうした由緒から英勝寺初代住持は、水戸家藩主頼房の娘・清因尼が務め、以降、6代目まで代々水戸家のお姫様であったことから“水戸御殿”などと呼ばれており、初代住持清因尼が、黄門様の母親違いの妹であったことから、黄門様が鎌倉を訪れる際に宿舎となったのです。
現在、境内の堂宇には江戸時代のものが多く残っており、そのうち英勝院の位牌を祀った《祠堂・祠堂門》は黄門様が寄進したもので重要文化財に指定されています。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る江戸に帰った黄門様は、1685年に鎌倉の地誌《新編鎌倉志》を刊行します。
これは先の鎌倉日記の見聞録をもとに、後に鎌倉での再現地調査と増補を家臣に命じて編さんさせたのですが、この編さんを行ったのが、鎌倉の『瑞泉寺』でした。
1327年に創建された瑞泉寺は、鎌倉時代には五山文学の拠点として栄えた文学や学問とゆかりの深い寺であったことから編さんにはうってつけだったのかもしれません。しかし、当時の瑞泉寺は荒廃していたため、黄門様は、鎌倉五山の僧達が度々詩会を催した所であった夢窓国師の名園の“偏界一覧亭”に堂を建て、傍らには寮を設けたのです。
また、本堂の千手観音は黄門様が安置したもので、境内にある古木は黄門様お手植えの“黄梅”と云われています。
偏界一覧亭の堂も寮はありませんが、観音像と黄梅は現在でも文化財として残っています。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る黄門様の命によって刊行された《新編鎌倉志》ですが、歴史書としてとても貴重な地誌でした。
鎌倉は室町・江戸時代には源氏の聖地として庇護されましたが、明治維新により神仏分離と廃仏毀釈により大きな打撃を受け、特に朝廷(皇室)の敵である武士の聖地をよく思うわけもなく、鶴岡八幡宮を始めとして仏教関連の施設の多くが破壊を受けたのです。
そのような中で《新編鎌倉志》は、江戸以前の姿と明治以降の現代を繋ぐ貴重な文献でもあるのです。
その一例が『鎌倉宮』で、黄門様以前の時代は“東光寺”であり、そこには建武の中興での悲劇のプリンス護良親王が幽閉・暗殺された土牢があり、黄門様の時代には、すでに東光寺は無く土牢だけが残されていたことを地図を添えて説明しています。
そして現在は、東光寺跡地に鎌倉宮が建立され土牢が復元されており、《新編鎌倉志》は鎌倉の途切れた歴史を繋ぐことに一役買っているのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る歴史資料として貴重な《新編鎌倉志》ですが、鎌倉の地理を始め名所旧跡を網羅していることから、現代でも大変参考になるものです。
12年の歳月をかけて編さんされた全8巻12冊には、総計240か所以上に及ぶ名所・旧跡が解説されています。
その膨大な項目の中で、鎌倉七口・鎌倉十橋・鎌倉十井・鎌倉五水・鎌倉谷七郷といった『名数』は、この新編鎌倉志によって選定されました。
特に化粧坂切通といった鎌倉七口や星月井などの鎌倉十井は、現在では一部消滅や当時の面影の無いものもありますが、観光名所となっており多くの方が訪れています。
このように黄門様の刊行した新編鎌倉志は、現代の旅行ガイドブックの“元ネタ”ともなった江戸時代のガイドブックだったのです。
結局、人生楽も苦もなかったかもしれませんが、一体どうして黄門さまには諸国漫遊のイメージが出来上がったのでしょうか。
それは江戸の水戸藩邸が大火で焼失した際、一緒にあった歴史書も焼失してしまったことから黄門様は、日本史編さんプロジェクトを起こし、編さんチームが全国を訪ね歩いたのが《水戸黄門漫遊記》のモデルになったと云われているのです。
そしてそのプロジェクトの中で、鎌倉だけは黄門様自身も行かれたという事になるわけです。
もし機会があればネット等で『新編鎌倉志』を読めますので、それを元にして鎌倉を訪ねるのも一興かもしれません。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/10/11更新)
- 広告 -