佐賀「大隈記念館」早稲田の創設者・大隈重信の肉声を聴く。

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佐賀「大隈記念館」早稲田の創設者・大隈重信の肉声を聴く。

佐賀「大隈記念館」早稲田の創設者・大隈重信の肉声を聴く。

更新日:2015/10/07 14:50

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

日本で初めて始球式をした人物。新橋〜横浜間の鉄道敷設に尽力し現在のJR在来線の線路幅・軌間を1067mmと決めた人物。内閣総理大臣を二度務めた人物。全ては同一の人物、早稲田大学の創設者・大隈重信です。
佐賀県佐賀市にある「大隈記念館」では、政治家・教育者である大隈重信の生涯や業績を辿ることが出来ます。桜や松といった樹々に囲まれた佐賀「大隈記念館」を併設の「大隈重信旧宅」と共に御紹介致します。

佐賀「大隈記念館」へのアクセスと『葉隠』の土壌

佐賀「大隈記念館」へのアクセスと『葉隠』の土壌

写真:KISHI Satoru

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佐賀大和インターチェンジから車で約20分、佐賀駅からバスで約10分の場所、佐賀県佐賀市水ヶ江にある「大隈記念館」。併設しているのは「大隈重信旧宅」です。大隈重信は、1838年(天保9年)に佐賀藩士・大隈信保と三井子の間に長男として生まれました。

佐賀と言えば備前国佐賀鍋島藩の藩士・山本常朝(1659年〜1719年)が武士の心得を説いた、有名な冒頭「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」で始まる『葉隠』の影響が強い土地柄。また藩校「弘道館」により優秀な人材を育成した地域でもあります。その中で大隈重信はどのように育っていったのでしょうか。

大隈重信の生涯と右手の杖

大隈重信の生涯と右手の杖

写真:KISHI Satoru

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大隈重信は1838年(天保9年)に生まれ藩校の弘道館で学びますが『葉隠』に基づく儒教教育に馴染めず反発して退学。その後、思想家・教育者の枝吉神陽(えだよし しんよう)から国学を学び、最終的に弘道館の教授となり蘭学の指導をします。長崎に移ってからは英学塾「致遠館」にて教頭格を務めました。
後に政界へと出て参議兼大蔵卿、外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣などを歴任。また1882年(明治15年)に現在の早稲田大学の前身、東京専門学校を開設したのです。

大隈重信像の右の手元を御覧下さい。杖をついているのが分かります。それには理由があります。黒田内閣の外務大臣として入閣していた1889年(明治22年)不満を持つ暴徒に爆弾を投げられ、右足を失い義足となりました。そのため補助として杖を持っているのです。

展示品の豊富な佐賀「大隈記念館」

展示品の豊富な佐賀「大隈記念館」

写真:KISHI Satoru

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「大隈記念館」は大隈重信の生誕125周年を記念し1967年(昭和42年)に開館。早稲田大学名誉教授・今井兼次博士によって設計されたものです。建物自体が大隈侯の人間像・人間愛を表現した総合芸術作品として完成。2015年(平成27年)には記念館内部を改修工事して、リニューアル・オープンしました。

館内では全国を飛び回り講演、演説をおこなった大隈重信の肉声を聴けたり、使用していたアメリカAAマークス社製の義足を見る事が出来たりと充実した展示内容となっています。またテラス付きのカフェもあるので、松や桜のある庭を眺めながら休憩を取ることも可能です。

生涯が綴られた碑文と桜の木

生涯が綴られた碑文と桜の木

写真:KISHI Satoru

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「大隈記念館」と「大隈重信旧宅」との間に桜の木が植えられていて、その前には大隈重信の生涯が綴られた大きな碑文が建立されています。
参議兼大蔵卿として殖産興業と財政改革を推進し、外務大臣として不平等条約の改正に尽力。早稲田大学を創設し初代総長となり人材の育成にも力を注ぎ、二度の内閣総理大臣を務めて1922年(大正11年)に逝去します。東京で行われた国民葬には150万人が参列したと言われています。

受付売店では、当時発行された実業之日本社『大隈候哀悼号』(復刻版)も販売されています。国民葬の写真や高橋是清を始め多くの人の哀悼の意が掲載されており、その人柄や功績の偉大さが伺えます。

「大隈重信旧宅」と母・三井子の慈愛

「大隈重信旧宅」と母・三井子の慈愛

写真:KISHI Satoru

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1965年(昭和40年)国の史跡に指定された「大隈重信旧宅」。1781年〜1801年(天明・寛政)の頃に建てられた藁葺きの木造平屋で、1832年(天保3年)に父・大隈信保が買い取り、後に増改築され現在の形となりました。

神仏に篤く慈愛に満ちた母・三井子は幼少の頃、身体が弱く利発でもなかった大隈重信(幼名:八太郎)を献身的に教育。後に自ら餓鬼大将と言うほど活発になり、友人たちが生家に集まってきたほど。母・三井子は息子の友人たちを手料理などで歓待。大隈重信の来客好きはこの母のおかげと言われています。

佐賀「大隈記念館」のまとめ

建物そのものが芸術作品である佐賀「大隈記念館」と史跡である「大隈重信旧宅」。旧宅の裏手側の庭園には「大隈重信公誕生地」の石碑が建立されています。
政治家としても教育者としても後世に大きな影響を与えてきた大隈重信の生涯と功績を充分に辿ることが出来る佐賀市「大隈記念館」。桜や松に囲まれた庭園、紹介映像を見ながら一息つけるカフェ、母・三井子の教えと愛情を受けて学問に打ち込んだ「大隈重信旧宅」。学ぶことが多く感化を受けること間違いなしの場所「大隈記念館」の御紹介でした。

因みに“早慶”と表記されるように早稲田大学とよく比較される慶應義塾大学の創設者・福澤諭吉の記念館が同じ九州にあります。関連メモに紹介記事へのリンクがありますので、宜しければ御覧下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/31 訪問

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