名鉄の知立(ちりゅう)駅から徒歩で約15分の場所にあるのが真言宗豊山派の寺院「遍照院(へんじょういん)」です。「遍照院」までの道のりの途中にある、バス停や電信柱、交差点の看板などを見ると“弘法町弘法山”という文字が表示されているのが分かります。
弘法大師・空海(くうかい、774年〜835年)は、香川に生まれ、後に遣唐使として中国に渡り、真言密教を修めました。日本に帰国後、さらに全国で修行をし、各地に寺院を建立、和歌山の高野山・金剛峯寺は特に有名です。
その弘法大師・空海とのゆかりの深さが非常に感じられる愛知県知立市の“弘法町弘法山”にある「遍照院」。山門を抜けて木々や草花の豊かな境内を進むと、正面にあるのが本堂です。
810年代の弘仁年間に、弘法大師・空海が関東地方へ巡り、各地で教えを説いていた際、この地に約1ヶ月逗留して、弘法山「遍照院」を開山したと伝わっています。
本堂内には戒壇巡りも設置されています。本尊は弘法大師が彫った自身の坐像。秘仏であり、命日の旧暦3月21日に特別の開帳を行い、善の綱をもってお手引きしています。
本堂の前には草花が生い茂り緑豊かな境内は、心の和む空間となっており、多くの参拝者が訪れます。本堂の左手、北側には薬師堂もあり、優しいお顔の薬師如来坐像が鎮座されているので、是非、お参りしてみて下さい。
その昔、嵯峨天皇(さがてんのう、786年〜842年)が体調不良となった折、弘法大師・空海は病気平癒の祈願をした加持水(かじみず)を届けました。その後に、嵯峨天皇は見事に体調を回復したというエピソードが語り継がれています。
その逸話にならい、多くの方に愛飲されているのが阿伽井戸(あかいど)から汲み上げられた清水。また、こちらの清水は「遍照院」の様々な仏事に供養されるものでもあります。
また三河三弘法の第1番札所の「遍照院」は、その他にも東海三十六不動尊の第18番札所、三河新四国八十八ヶ所の番外札所にもなっているので、時間に余裕があれば、他の寺院も併せて巡ってみるのもオススメです。
赤目樫の木で、弘法大師が自らの坐像を三体彫り、「遍照院」の御本尊としました。弘法大師が、この地を離れる時に、根本に一番近かった部分で彫られた坐像が、やや右を向いて振り返り、別れを惜しんだ姿であることから“見返弘法”と呼ばれるようになりました。
そのため“見返弘法”は「遍照院」の名称にも用いられています。本堂の裏、東側には奥の院があり、そちらには秘仏の“見返弘法”を模した像が鎮座されているので、その姿を是非、確認してみて下さい。
三河三弘法の第1番札所であり、“見返弘法”とも呼ばれる「遍照院」には、お砂踏み霊場、四国八十八ヵ所霊場、水子堂、不動堂、修行大師なども整っています。また、安産・子育(こやす)大師もあるので、特に女性の方々にはこちらのお参りをしてみてはいかがでしょうか。
因みに、三河三弘法の他の二つの寺院は知立市のお隣、刈谷市にあります。第2番札所「西福寺」は別れを惜しみつつ見送ったことから“見送弘法”、第3番札所「密蔵院」は別れを惜しんで涙を流したことから“流涕(りゅうてい)弘法”と、それぞれ呼ばれています。
名鉄線やバスを利用して、三河三弘法を一日で巡ることも可能なので、三つの寺院を一度にお参りするのも特にオススメです。
毎月の弘法大師・空海の命日、旧暦21日には名鉄知立駅から「遍照院」の境内までの約1キロの道のりを、生活雑貨を始め食料品、骨董品等の露店が数百も連なり、地元、愛知県内、また他県からも多くの人が訪れる“弘法さんの縁日”となります。
賑やかな縁日にお参りするのも良いですね。詳しい行事日程などは、下部関連MEMOにあります公式サイトへのリンクから御確認下さい。
以上、愛知県知立市“弘法町弘法山”にある弘法大師・空海にゆかりの寺院「遍照院」の御紹介でした。
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(2024/9/18更新)
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