写真:後藤 徹雄
地図を見る関ヶ原の合戦の後、肥後一国五十二万石の領主となった加藤清正が、それまでの隈本城を大改修し、1607年に完成させた堅城熊本城。特に城下から仰ぎ見るその天守は熊本の象徴です。大天守と小天守をつないだ連結式で、建物の高さ32.5m 石垣14.7m、近くで見上げるとその迫力に圧倒されます。
現在の天守は昭和35年(1960年)に復元されたもの。史料、古写真などに基づき正確に外観復元した鉄筋コンクリート造りで、内部は市立熊本博物館の分館として史料を展示しています。
では元の天守がいつ失われたかというと、明治10年(1877年)の西南戦争の時でした。北上する薩摩軍を迎え撃つ明治政府軍は熊本城に籠城。この攻防戦の最中に謎の出火、天守はもとより書院や櫓の多くを焼失しました。放火、失火、戦術上の自焼ほか諸説あって真相は今も分かっていません。
結局薩摩軍は熊本城を落とすことが出来ず、田原坂決戦にも敗れ九州各地で戦闘を続けながら敗走し、最後は鹿児島の城山で西郷自決。西南の役は政府軍の勝利となり、ここに於いて明治維新はその完結をみました。二百七十年の時を越え、清正の城は堅牢そのものだったのです。
この辺りのことは司馬遼太郎の歴史小説「翔ぶが如く」に詳しいので、こちらも併せてお勧めします。
写真:後藤 徹雄
地図を見る天守以外に是非見ておきたいのが宇土櫓(うとやぐら)です。江戸期に建てられたままの状態で現存する建築物で、三層五階建て「第三の天守」とも呼ばれます。西南戦争での出火時は風向きにより焼失を免れました。城内で一番高い石垣の上に建つ姿を堀の外側から眺めてみましょう。武者返しと呼ばれる扇の勾配をもつ石垣も美しく、背後に大小天守を望む絶好の撮影ポイントです。
地元では熊本城を背景にしたウエディングフォトの撮影に良く使われていて、記念撮影に打って付けの場所でもあります。もちろん櫓内部も見学可能。時を越えて迫ってくる木造建築に直接触れながら最上階まで登って行くと、大小の天守を目の前に見ることができます。ここから撮ったのが冒頭の写真です。大きすぎてうまくフレームに入り切れなかった天守も、高い視点と程よい距離からバランス良く収めることができます。ここも押さえておきたい撮影ポイントですね。
写真:後藤 徹雄
地図を見るほかにも2007年に築城400年を迎えて復元された本丸御殿や大小の櫓や門など見どころにあふれています。特に石垣はその量、形状、配置も素晴らしく城郭ファンのみならず訪れた全ての人に感動を与え続けています。復元整備計画は今も進行中で刻々と往時の雄姿を甦らせている熊本城なのです。歴史に想いを馳せながら、城内からは守りの視線で、また堀の外側からは攻めの視線でこの清正の城を味わい尽くして下さい。「城は守って見よ、攻めて見よ」というのが私からの提言です。
名城を味わい尽くしたら城下へ下りて旨いものでも。
名物はいろいろありますが、特に有名なのが「辛子蓮根」と「馬刺し」で、郷土料理を出す店ならかならず置いています。
辛子蓮根の起源については、熊本城に縁ある話が伝わります。
江戸期に入り加藤家が二代で改易となり、続いて入国したのが細川家でした。初代藩主細川忠利の健康のため献上された辛子蓮根の切り口が、細川家の家紋九曜門に似ていたためたいそう喜ばれたという伝承です。その蓮根、もとは加藤清正が戦時の非常食として外堀で栽培していた蓮根だったそうです。正に熊本ならではの一品。お土産にも是非。
もうひとつ熊本の郷土料理で外せないのが、馬肉のお刺身「馬刺し」です。全国一の馬肉生産地ならではの新鮮な馬肉の刺身は他ではなかなか味わえません。肉であることを忘れるような甘みのある、とろける感触は一度憶えるとやみつきになります。これも店によっては珍しい部位の馬肉、刺身をだすところもあるので尋ねてみましょう。
お酒がいける方には、ここは焼酎のお湯割りが定番です。人吉地方で造られる球磨焼酎もお勧めです。飲み方は、焼酎6:4お湯のお湯割りが一般的(ろくよんのお湯割りと云います)必ずお湯の方を先にグラスに注ぎ、後で焼酎を足すという地元作法に則して地元気分でご賞味ください。
「城は守って見よ、攻めて見よ」それから「土地のものを食してみよ」ということですね。名城と城下町の歴史に浸る旅、土地に伝わる旨い料理を味わう旅、その手始めには熊本の旅こそふさわしいのではないでしょうか。九州新幹線開業でますます近くなった熊本へお出掛けください。
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(2024/9/18更新)
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