写真:井伊 たびを
地図を見るこちらの神社は、日本三霊山のひとつ「立山」を神の山と仰ぐ、三社殿からなる「雄山神社」のひとつ「雄山神社祈願殿」です。社格としては、「延喜式内国幣小社」であり、鎌倉時代の「神道集」によれば、越中一の宮とされています。
鎌倉幕府、室町幕府の金沢藩主に特別な崇敬保護を受け、中宮寺塔中の衆徒社人38戸軒を列ねて、奉仕し全国に「立山の霊験」を布教したという史実があります。
総拝殿を「祈願殿」と呼び、2万余坪ある境内は、樹齢500年を超える樹林で覆われています。そしてこの樹林群は、富山県天然記念物に指定されております。
この「祈願殿」は、かつて「神仏習合」の施設であり、中宮寺(芦峅寺)と呼ばれていました。当時より、霊峰「立山連峰」への玄関口であり、芦峅寺(あしくらじ)における立山信仰の拠点でもありました。この「祈願殿」は、立山連峰の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖である「佐伯有頼(さえき の ありより)」は、この地で晩年を過ごしました。
写真:井伊 たびを
地図を見る樹齢500年あまりの杉木立の中の散策は清々しい。特に朝方に訪れるのがオススメです。木立の隙間からときおり、差し込んでくる朝日は、まるで高級なレースのカーテンのようで、社の厳粛さをより一層演出しています。
向かう「祈願殿」には、古来より武将や公家の信仰も篤く「ウバ様」への献上品が多く奉納されました。 周辺には宿坊や、女人救済のための行事を行なう「布橋」なども現存しています。 ここは、かつて「女人禁制の立山信仰」において、女性が立ち入る事が出来た最終地でもありました。
当時、芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織を作り上げていました。彼らは16世紀以降、諸国廻りを行い、立山の「縁起図」や「立山牛王紙」、そして薬草や薬紛などを配置し、翌年にその代金を受け取っていました。これが後に「越中売薬」とも呼ばれるシステムの起源だとされています。
写真:井伊 たびを
地図を見る「祈願殿」は、諸祭礼、諸祈願を執り行う中心で、江戸時代までは「芦峅大講堂」と呼ばれていた建物。こちらには、「雄山の大神」を始めとする立山全山中36社末社の神々が合祀されています。
例大祭は、毎年7月25日、26日に執り行われております。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内奥に西本殿(立山大宮)と、東本殿(立山若宮)があります。
その西本殿「立山大宮」の御祭神は、「立山権現伊弉那岐大神(たてやまごんげんいざなぎおおかみ)」であり、相殿神として「 文武天皇(もんむてんのう)・佐伯宿祢有若公(さえきすくねありわかこう)」が、祀られております。
「立山大宮」は、立山権現麓芦峅中宮の末社で、ウバ堂と並び立山信仰の中心的社殿でありました。ところが、かつてその偉容を誇っていた本殿、大拝殿とも明治初年、山中よりの落石の災害に合い、残念ながら両殿とも破壊されました。
写真:井伊 たびを
地図を見る東本殿「立山若宮」の御祭神は、天手力雄命(あめのたじからおのみこと)・稲背入彦命(いなせいりひこのみこと)・佐伯有頼命(さえきありよりのみこと)です。
ところで、「祈願殿」の境内は、名キャメラマン木村大作の初監督映画「劒岳 点の記」(2009年公開)のロケ地でもあります。「剱岳測量隊」の出発地として使われました。
この映画をご覧になられた方は、この「立山若宮」の場面を思い出されることでしょう。この作品の主人公である・浅野忠信演じる「柴崎芳太郎」が率いる測量隊を、サポートする劒岳の山案内人・香川照之演じる「宇治長次郎」が、村人たちと登山の準備をしている緊迫したシーンがこの「立山若宮」の前で撮られました。
「雄山神社祈願殿」には、芦峅寺の産土鎮守である「神明宮」をはじめ、子育ての守り神として信仰が篤く、首から上の病気の守護神としての「宝童社」や、芦峅寺各所の水源地に祀られていた水神石堂を合祀した「水神社」、五穀豊穣・商売繁盛の神「稲荷社」、通称山神様と呼ばれ、特に山仕事に関わる人々の崇敬が篤い「神秘社」など、多くの摂末社があります。
こちらの境内に佇めば、「清々しさ」とは、こういう感じなのだ!と体感でき、「心の温泉」とでも呼べるお社です。
また、隣接する「立山博物館」は、是非立ち寄っていただきたい施設です。立山信仰に関するテーマパークとされる、この「たてはく」では「立山の成り立ち」から学べ、お子様にもお勧めできる博物館です。
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(2023/12/6更新)
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