金山と共に栄えた鉱山町、佐渡島「相川地区」を散策しよう!

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金山と共に栄えた鉱山町、佐渡島「相川地区」を散策しよう!

金山と共に栄えた鉱山町、佐渡島「相川地区」を散策しよう!

更新日:2015/09/11 15:53

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター

古くより金銀の島として称されてきた佐渡島。その島内には主に四つの鉱山が存在しますが、最も有名なのは北西部の相川(あいかわ)金銀山でしょう。いわゆる「佐渡金山」として良く知られ、坑道見学は佐渡観光の定番ルートです。

そのお膝元に位置する相川地区は、相川金銀山と共に発展してきた鉱山町。町全体に歴史を感じさせる町並みや史跡が残っており、鉱山町ならではの産業景観を目にすることができるのです。

江戸時代からの地割を残す相川の町並み

江戸時代からの地割を残す相川の町並み

写真:木村 岳人

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相川鉱山が発見されたのは慶長6年(1601年)。佐渡島を天領(幕府の直轄地)としていた徳川家康は、鉱山開発や土木技術に秀でた大久保長安(おおくぼちょうあん)を佐渡代官(のちに奉行)として相川に派遣し、鉱山の開発にあたらせました。

長安は海に面した台地の尾根上に鉱山へと通じる幹線道路を敷き、その道沿いに町場を整備しました。また物資を搬出する港湾や街道も築かれ、その甲斐あって相川鉱山は多大に発展。1610〜1630年代にピークを迎え、幕府の財政をガッチリと支えていたのです。

ただの寒村であった相川はたちまち人で溢れ返り、日本有数の鉱山町へと成長しました。人口の増加に対応するために海岸を埋め立て、新たな町も開かれました。台地上の上町と、海岸沿いの下町。こうして造成された相川の町割は、現在もほぼそのまま継承されています。

かつての相川の中心地、佐渡奉行所跡の周囲に残るノスタルジー

かつての相川の中心地、佐渡奉行所跡の周囲に残るノスタルジー

写真:木村 岳人

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今でこそ海岸沿いの下町に行政施設や商店が集中していますが、かつては台地の端に位置する佐渡奉行所が相川の中心地でした。下町を見下ろす高台に構えられた奉行所の跡地には、平成12年(2000年)に御役所が再建されており、見学が可能です。

また奉行所のすぐ側には、明治21年(1889年)に建造された旧相川簡易裁判所が現存します。堂々たるたたずまいの和風建築は、奉行所と共に相川の中心にふさわしい威容。現在は「佐渡版画村美術館」として活用されており、佐渡をテーマにした様々な版画が展示されています。

その敷地は明治18年(1885年)に築かれた煉瓦塀によって囲まれており、懐かしい風情を醸しています。路地の奥には、昔から町の人々に時刻を伝えてきた鐘楼が構えられており、煉瓦塀と相まって相川を象徴する風景となっています。

まるで古代遺跡のよう! 北沢浮遊選鉱場跡は超必見

まるで古代遺跡のよう! 北沢浮遊選鉱場跡は超必見

写真:木村 岳人

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江戸時代中期以降、相川鉱山は新たな鉱脈が見つからず産出量が減少していましたが、明治時代に入ると近代化により新たな採掘技術が導入され、産出量が大幅に増加します。さらに昭和初期には鉱山の再整備が行われ、今に残る数々の鉱山施設群が築かれました。

佐渡奉行所跡北側の谷間には、昭和12年(1937年)に築かれた浮遊選鉱場の跡地が広がっています。鉱石をより分ける施設だったのですが、雛壇状に連なる巨大なコンクリートの骨組みは圧巻の一言。まるで古代遺跡のようなたたずまいです。

選鉱場跡の隣には、明治41年(1908年)に築かれた煉瓦造の発電所や、同じく明治時代後期の事務所なども残っており、見ごたえ抜群です。

物資の入搬出を行っていた、港の遺構もバッチリ残る

物資の入搬出を行っていた、港の遺構もバッチリ残る

写真:木村 岳人

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選鉱場で処理された鉱石などの生産品や、生産に必要な燃料や物資といった品々は、相川地区の北側に位置する大間港から入搬出されていました。そこには今もなお、護岸や防波堤、トラス橋やクレーン台などが残っています。

この大間港は明治25年(1892年)に築造され、その後の大正から昭和初期にかけて施設が増設されてきました。現存する近代の港湾設備として貴重なものです。

このように、相川には採鉱から選鉱、精錬、搬出に至るまでの一連の設備が今に残されており、鉱業生産の流れを追いながら見学することが可能なのです。鉱業のプロセスを理解することで、鉱業に関する知識がより一層深まることでしょう。

台地の南側には数多くの寺院が集まる寺町が

台地の南側には数多くの寺院が集まる寺町が

写真:木村 岳人

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上町の南に位置する谷間には、数多くの寺院が密集する寺町が存在します。中でも大安寺は大久保長安が慶長11年(1606年)に創建した寺院で、その境内には長安が死後の冥福を祈って建立した逆修塔や、長安と同様に佐渡代官を担った河村彦左衛門の供養塔も残っています。

またより鉱山に近い上寺町地区には、「無宿人の墓」が存在します。江戸時代、相川鉱山では江戸などの都市にいた無宿人(戸籍を持たない人々)を徴用し、坑道内の湧き水を汲み上げる水替人足として動員していました。その労働環境は苛烈極まりなく、3年以上は生きられなかったといいます。この「無宿人の墓」は、それら坑道内で亡くなった無宿人を弔うために築かれました。

佐渡金山は坑道のみならず、鉱山町も見逃せない!

佐渡金山の観光というと、坑道だけを見学して終わりという方も多いのではないでしょうか。しかし、それだけではあまりにもったいない。鉱山と一緒になって発展してきた、相川の鉱山町にも数多くの見どころがあるものなのです。

佐渡島の金銀山遺跡はユネスコ世界遺産の次なる候補地である暫定リストに記載されているのですが、今回ご紹介した相川の史跡や産業遺産もまたその構成要素に含まれています。いつか佐渡金山と共に世界遺産になるであろう、相川の鉱山町。要チェックです。

掲載内容は執筆時点のものです。

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